百日紅(サルスベリ)の木、まだ葉がついている枝は残して剪定してたのに震動で散っちゃった(´・_・`)

【読んだ本】

篠田達明『モナ・リザは高脂血症だった 肖像画29枚のカルテ』(新潮新書,2003)所蔵本

篠田医師の診断は表面的過ぎる時(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-05
もあるけど、面白い本書(^^) 「第四章 江戸っ子たちの“生活習慣病”」の「曲亭馬琴は総入れ歯」
の冒頭を引く(@_@;)

    /江戸の町では、入れ歯師たちが独自の技術をもって精巧な総入れ歯を製作していた。
    それは顎吸着式の有床義葉で、十分咀嚼にたえる実用的なものであった。将軍家の刀術
    指南役をつとめた柳生飛騨守宗冬も上下の総入れ歯を使用していて、のちにこれが
    下谷の広徳寺の墓から発掘されている。新陰流の達人が歯抜けじいさんになっていたとは
    なんとなくほほえましい。/・・・

この柳生宗冬の総入れ歯について、西山松之助『家元ものがたり』(中公文庫,1976)の「剣道」の項
からも引く(@_@;)

    ・・・この[下谷の広徳]寺は有名な諸大名の菩提寺で、小堀遠州とか、細川・小笠原・
    松浦の諸侯をはじめ、柳生代々の剣聖の墓もここにあった。/この名高いお寺も、維新後
    は忘れられていたが、昭和になってからふたたび「ビックリ下谷の広徳寺」となった。
    それは都市計画で、このたくさんな豪華な墓を全部発掘して、それを練馬へ移した昭和
    二年(一九二七)の六月のことだ。・・・/・・・宗冬の棺に納めてある「かめ」の中
    から、・・・世界最古の精巧な義歯が出たのである。/この入れ歯は、「日本の歯界」
    (第八八号)に、原玄了氏が歯科医としての専門的な立場から、「・・・」といって、
    世界の義歯発達史の上から詳細にこれを論証した。しかし、原博士は、この歯が白くない
    という理由で、宗冬のものではなく、宗冬夫人のものであると論断しているが、私は
    どうしてもこれに賛成できない。現在下谷の広徳寺に保存されている現物は、正しく白い
    蠟石の歯と、歯床の部分は褐色の黄楊[つげ]の木である。それに宗冬を葬った「かめ」
    の中からは、歯としてはこの入れ歯だけが出てきたということであるから、宗冬のものに
    間違いないと思われる。/又十郎宗冬は、出羽に隠棲していた磯畑秀国について、木の実
    を常食にして修行したと伝えられているくらいだから、青年時代の無理がおそらく早く歯
    を失わしめることにでもなったのではなかろうか。/それにしても、この天下に鳴りひび
    いていた剣豪が、上下とも総入れ歯であったことはおもしろく、しかもこの入れ歯が、
    ウィーンをはじめとして、二回も海を渡り、義歯史上、同時代の全世界の入れ歯と太刀討ち
    して、いまだ一歩もひけをとったことがないというから、誰と太刀討ちしても負けなかった
    剣豪飛騨守宗冬の入れ歯らしい話である。/・・・

本書だと引用した冒頭部分に続けて「わが国最古の木床総入れ歯は和歌山の南畠願成寺に納められた
中岡テイの遺品である。この女性は・・・天文七年(一五三八)七十六歳で亡くなったので、それ
以前につくられたものである。・・・」となってるが、西山松之助の語り口は読ませるな(〃'∇'〃)

さて、篠田達明も西山松之助も、この墓から出てきた総入れ歯を柳生宗冬が実際に使用してたように
書いているが、渡辺誠『真説・柳生一族 新陰流兵法と柳生三代の実像』(洋泉社歴史新書y,2012)
198~191頁は次のように記している(@_@;)

    ・・・/義歯の中でも今日いうところのブリッジに相当するものは古代からあったが、
    総義歯は「近世歯科医学の父」とも称えられるフランスのピエール・フォーシャール
    (一六七八~一七六一)が一七二八年に、現代の入れ歯に近いものの製作に成功した
    という。柳生宗冬の没年は一六七五年(延宝三年)であるから、それより半世紀ほど
    前に日本では総義歯が誕生していたことになる。/素材を除くと、その義歯の構造は
    現代のそれにきわめて近く、[改葬で発見された]当時の歯学界の注目を集め、その
    所見についての学者の論文があいついで発表されている。世界で初の上下総義歯と
    いうべき宗冬のそれをテーマとした研究は後を絶たず、百科事典の「入れ歯」の項目に
    このことを触れていないものはないほどだ。この義歯を作ったのは、宗冬の死より
    十三年前の万治元年(一六四八)に江戸・麹町に口中[こうちゅう]治療を開業した
    口科医[こうかい]、小野玄入ではないかという推考もあるが、もとより確かなことは
    わかっていない。/この義歯は実際に使用された痕跡がなく、黒褐色の光沢を帯びていた。
    五味康祐の長編『柳生武芸帳』では、宗冬が女性に変装するために小野玄入に作らせた
    ことになっていて、これがまた話題になったものである。/・・・