読んで誰得な身辺雑記キタ━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━!!!! キタヨキタヨヽ(゚∀゚=゚∀゚)ノキチャッタヨ-!!!!!
満身創痍(´ヘ`;) 大量の本を処分してて腰を痛め、本棚の棚の位置を変更しようと留め具をペンチで
引き抜くのに難儀して手の甲を怪我したのが再び出血し、新しい靴で出来た靴擦れが破け出血したのが
メチャクチャ痛む上に、4月末に再び取れて付けて貰った歯の詰め物が三度取れてしまった(ノ_-;)ハア…

【読んだ本】

鈴木眞哉『戦国武将のゴシップ記事』(PHP新書,2009)

更に読み進んで今日は次の6篇から成る「第六章 信仰・信条」を読んだ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    1 〈無神論者〉信長の真実
    2 〈天台の座主〉信玄と〈第六天の魔王〉信長
    3 天下人のお宗旨
    4 神様と取引した信玄、恫喝した秀吉
    5 「天下布武」印にそれほど大きな意味はあったか
    6 巨大な石灯籠に情熱を傾けた佐久間勝之

「天下人のお宗旨」(138~142頁)では、肥前平戸の藩主だった松浦静山に侍女たちの一人が公儀
(徳川将軍家)は何宗でございますかと尋ねてきたので、静山が答えたところ、「・・・その女性は、
太閤様(秀吉)は、なんのお宗旨でございましたとさらに尋ねてきた。うちの殿様は博識だから、
当然知っていると思ったのだろうが、これには静山も当惑した。・・・秀吉はわからない。それで、
太閤さんのことは、これまで知らなかったよと笑って冑を脱いだ。/・・・/[けれども]多分に
マニアックな人だった静山は、秀吉のお宗旨のことはそのままにはしておけなかった。翌日、自分の
家の菩提寺の天祥寺に詣でたとき、二人の和尚をつかまえて聞いてみたが、二人とも知らなかった。
それで儒学の元締めの林家に問いあわせてみたが、はっきりした答えはなかった。・・・」のだが、
それでも「諦めない静山」は「近所の別の学者」にも尋ねるなど、こーゆところが好きだ(〃'∇'〃)
有意義な内容だったのは132~134頁の1篇で、司馬遼太郎も形無しかな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    /織田信長が無神論者だったという解釈は、かなり流布しているようである。
    作家の司馬遼太郎さんなども、しきりにそういうことをいっておられたから、
    ご存じの方も多いに違いない。こうした説は、おそらく宣教師のルイス・
    フロイスが書いたものなどから出てきたのであろう。フロイスは、その著
    『日本史』で「(信長は)神及び仏の一切の礼拝、尊崇、ならびにあらゆる
    異教徒的占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった。……霊魂の不滅、来世の賞罰
    などはないと見做した」と記しているからである。/だが、フロイスは同じ
    著書のなかで、「信長は禅宗の教えに従って、来世はなく、見えるもの以外
    には何ものも存在しないことを確信しており……」とも記している。信長の
    〈無神論〉なるものは、近代的な意味のそれではなく、禅的な教養にもとづく
    ものであったことを、フロイスは、はっきり認めているのである。/・・・/
    ・・・フロイスに寄りかかって、信長は無神論者だったなどという人たちは、
    彼の記述をきちんと読んでいないことはたしかである。/