数ヶ月ぶりのブックオフの店舗、出入口の消毒液ボトルが足でペダルを踏むと出るタイプに( ̄◇ ̄;)

【読んだ本】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

読了(^o^)丿 藤原道長の日記『御堂関白記』の長徳元年(995年)から寛弘5年(1008年)までの分の
現代語訳だが、あくまでも「全現代語訳」であり、語釈、解説、参考といった注釈のある「全訳注」
ではないからね(ノ ̄皿 ̄)ノ ┫:・' 例えば、さらっと書いてて本書だと僅か2行足らずの記述でも、
もし「全訳注」だったならば、どれだけ多くの情報が記されただろうかと無い物ねだりをしてみたり
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-06-28)、肝心な部分が載ってない本書は
つまんねと嘆いた(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-08-28)ことも(-ω-、)

とはいえ、長保2年(1000年)正月1日条に次の記述がキタ━━━━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━━━━!!!!

     一日、己卯。 元日節会停止/土御門第臨時客/東三条院拝礼

    ・・・次に陣座に着し、見参簿を奏上した。これは旬政の平座と同じであった。
    諸卿は、皆、退出した。陣座において見参簿の奏上が有ったのに諸卿は伺候しなかった。
    これは諸卿が儀式を知らなかったのであろうか。もしかしたら、儀式を主宰する私が、
    それに相応しくはないのであろうか。不審に思った、不審に思った。

コレは、倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社現代新書,2013)か、倉本一宏『藤原道長の権力と
欲望 「御堂関白記」を読む』(文春新書,2013)か、あるいは倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を
読む』(講談社選書メチエ,2013)で取り上げられていた件(^_^;) 長徳元年(995年)に権力を握って
既に4年以上も経つのに、「相応しくはないのであろうか」と自問するというのも変な気がするけど、
「奇と為す、奇と為す。」は萌えポイントか(〃'∇'〃) 「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」
https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/ )で、この内の2冊を取り上げて、そのミスや
疑問を徹底的に指摘した所為か、当該記事は当時も今もアクセス数が多いv( ̄∇ ̄)ニヤッ 今は和歌など
文化面に関心があるし、『紫式部日記』も読んだので、もし再読したら、別の記事が書けそう(^_^;)

     十三日、辛亥。 蔵人定

    ・・・六位蔵人には兵部丞(藤原)広政と(藤原)惟規を補した。蔵人所の雑色や
    非蔵人を差し置いて、この人々を補せらるるのは、現在、蔵人所に伺候する蔵人は、
    年が若く、また、補すべき巡にあたっている非蔵人や雑色たちも年少である。そこで、
    この二人は頗る年長であって、蔵人に相応しい者である。そこで補せられただけのこと
    である。後世の人に判断を任せよう。この人事の賢愚はわからない。

この寛弘4年(1007年)正月13日条には笑った(^_^;) 藤原惟規を蔵人にした人事は「愚」かと(^_^;)
萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 下巻』(角川書店,1973)は同人事を「紫式部
出仕の反対給付としての抜擢であると思われる」として(彼女が藤原道長と関係を持ったのは寛弘5年
6月頃と推論するので、コレは枕営業によるものに非ず)、作法を忘れるなど蔵人としての藤原惟規の
醜態を指摘する『小右記』その他の記述を列挙((;゚Д゚)ヒィィィ! 宮中に盗賊が入って女房達が身ぐるみ
剥ぎ取られて裸にされる事件が発生し、駆けつけた紫式部が弟に手柄を立てさせようと呼び出すも、
惟規は既に退出してたとの記事が『紫式部日記』に(^_^;) 彼は歌人としての説話はあるけどね(^_^;)