中日スポーツすら7日の対ヤクルト戦での与田監督のお粗末采配を批判しているというのに、ほぼ毎試合
采配ミスを繰り返すオリ西村を在阪メディアは取り上げることすらなくタイガースの話ばかり(-ω-、)
多くの評論家が開幕前に「個々の選手の能力は高いのですが・・・」とのコメントを付して(最)下位
と予想してるのは首脳陣が無能だと暗に言っているのと同義なんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
nikki様のアドヴァイスのお蔭でロシア語のは無くなるも、外国語スパムコメントは相変わらず(´・_・`)
はじかれてるのもあると考えると実は拙ブログの訪問者数のかなりの部分を占めてたりヒィィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

【読んだ本】

小松英雄『みそひと文字の抒情詩 古今和歌集の和歌表現を解きほぐす』(笠間書院,2012新装版)所蔵本

高い金を払ったんだから元取らなきゃと倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(上)』
(講談社学術文庫,2009)巻末の「用語解説(五十音順)」を読み始めると、一番最初が「白馬節会
(あおうまのせちえ)」( ̄◇ ̄;) 「正月七日に天皇が紫宸殿に出御し、群臣に賜宴し、左右馬寮の
引く白馬を見る儀式。・・・」云々と解説されてるが、最近、何かで読んだような気がする(@_@;)
今井源衛『大和物語評釈 下巻 笠間注釈叢刊28』(笠間書院,2000)巻末の「Ⅲ 事項索引」、秋山虔
&小町谷照彦&倉田実『日本古典評釈・全注釈叢書 伊勢集全注釈』(角川書店,2016)巻末の「歌語
・事項歌番号索引」、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 紫式部日記全注釈 下巻』(角川書店,1973)
巻末の「語釈欄項目索引」等を引いたが載ってないし、久保田淳(監修)『新日本古典文学大系 別巻
八代集総索引』(岩波書店,1995)の「歌語索引」や片桐洋一『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』(笠間
書院,1999)にも無い(+_+) 紀貫之が馬について秀歌を詠んでたことを思い出し、藤岡忠美『紀貫之』
(講談社学術文庫,2005)に当たるも出てなかったが、萩谷朴『日本古典評釈・全注釈叢書 土佐日記
全注釈』(角川書店,1967)巻末の「単語総索引」で発見したヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪ どうやら
品川和子(全訳注)『土佐日記』(講談社学術文庫,1983)を読んだ際(昨年10月!)、一月「七日に
なりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬[あをむま]を思へど、かひなし。ただ波の白きのみぞ見ゆる。
かかるあひだに、・・・」(=「七日になりました。同じ港におります。今日は宮中の白馬の節会の
ことを思いますが、(ここは海上で)なんのかいもありません。ただ波頭の白いのばかりが(やたら)
見えるのです。こうしているあいだに、・・・」)という件の〈注〉の「白馬」の説明が頭の何処か
に残っていたらしい(@_@;) 萩谷朴・前掲書の図も含め約2頁に亘る「白馬の節会」の解説の詳細さ
に改めて敬服するとともに思ったのが、「あをむまをおもへどかひなし。ただ、なみのしろきのみぞ
みゆる。」は和歌の成り損ねかしら(^_^;) 小松英雄『みそひと文字の抒情詩 古今和歌集の和歌表現
を解きほぐす』(笠間書院,2012新装版)は、藤原定家が校訂した『土左日記』のテクストは和歌を
改行して独立させてしまっているので紀貫之の「・・・散文と和歌とを融合させた超絶技巧を味わう
こともできない。」と批判してたから、上記件も和歌が隠されてないかと、暫し考えちゃった(^_^;)
昨日の朝日朝刊の連載「星の林に ピーター・マクミランの詩歌翻遊」が「・・・藤原定家は日本文学
史の最重要人物の一人だ。歌人としても古典文学研究者としても、唯一無二の功績を残している。」
と書いてたけど、本書の帯には次のような(宣伝)文〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    歌聖と仰がれた藤原定家すら『古今和歌集』の和歌が理解できていなかった。
    したがってその流れを継承する現今の注釈者にも和歌表現の基本が理解されていない
    ということである。

今日の朝日朝刊の週一連載「與那覇潤[歴史学者]の歴史なき時代」の〈「自国の手柄話」の懸念〉
と題したコラムも凄いね( ̄◇ ̄;)

    ・・・/OH[オーラル・ヒストリー]には長所の裏面で、歴史を「自国の功労者の
    手柄話」と同義にしてしまうリスクがある。それに無自覚な学者に政治はわかるまいし、
    まして歴史を語る資格はあるまい。/

何が凄いって、この連載コラムの左上で、現在、毎日掲載されている連載「語る 人生の贈りもの」は
御厨貴、日本にオーラル・ヒストリー研究を導入した先駆者であり第一人者の政治学者だから(^_^;)