どんな本でも最後まで読むべきか、途中で読むのを止めて他の本を読み始めるべきか( ̄◇ ̄;)ドッチダ!?

【読むのを止めた本】

安積明子『「新聞記者」という欺瞞 「国民の代表」発言の意味をあらためて問う』(ワニブックス,2020)

前に何か論稿でも読んだのか安積明子の名前に記憶があり、つい先日ヤフーニュースのコメント欄で
松井一郎と太田房江のバトルに対して冷静な指摘をしているのに感心し、借りて読み始めた次第(^^)
「第1章 記者会見の現場で起こっていること」を読むと、小生の中で評価が低かった某野党党首にも
伸び代がありそうなことを知ったし、それなりに有益な内容の本だが、読み続けるのは止めた(^_^;)
望月衣塑子記者騒動での大手メディアを批判する内容らしいが(安積明子はフリージャーナリスト)、
この東京新聞記者に小生は興味が無いので時間の有効活用(^_^;) なお、本書35頁に次の記述(@_@;)

    ・・・/栃木県の医師の家庭に生まれた今井[尚哉総理秘書官兼総理]補佐官は、
    東大法学部を卒業した後、旧通産省に入省。主にエネルギー畑を歩み、エネルギー庁
    次長も務めた。叔父は元新日鉄社長で、経団連会長も務めた今井敬氏。同じく叔父の
    故・今井善衛氏は、旧通産省で事務次官を務め、商工省時代には安倍首相の祖父である
    故・岸信介元首相と繋がり、城山三郎氏の小説『官僚たちの夏』のモデルにもなった
    人物だ。/・・・

「故」の付け方に一貫性が無いのはともかく(城山三郎も故人)、気になったのは、「今井善衛氏は
・・・『官僚たちの夏』のモデルにもなった」という件だ(@_@;) 佐高信『経済小説のモデルたち』
(現代教養文庫,1994)の「『官僚たちの夏』と佐橋滋」には次の記述〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/小説では、早期の自由化を説く「国際派」の玉木と、それを時期尚早とする
    「民族派」の風越の対決が一つの大きな軸となっている。個人的な争いではなく
    政策的な対立なのだが、それはいつしか周囲の人間をも巻き込む感情的な確執とも
    なっていった。/玉木のモデルの今井善衛(元通産次官、現日本石油化学社長)は、
    いま、そのことについて一切語らない。/「『官僚たちの夏』についてなら
    ノーコメントです」/と、インタビューも断られた。/・・・

『官僚たちの夏』の主人公は風越だし、そのモデルは言わずと知れた佐橋滋で、安積明子の書き方が
許されるのなら、〈寺田寅彦は『吾輩は猫である』のモデルにもなった〉というのもアリかな(^_^;)

なお、昨日のユリイカ「総特集 坪内祐三 1958-2020」2020年5月臨時増刊号の長谷正人「坪内祐三に
おける「死にがい」の探究と連合赤軍─『一九七二』を読み直す」という優れた評論が坪内祐三には
「・・・本のなかに発見した誤植、誤記、勘違いなどに対する異様なまでのこだわりと嫌味ともいえる
ような指摘の仕方・・・」があったとして、例示列挙していた(同誌244頁)( ̄◇ ̄;)

    ・・・/例えば、誤記であれば、「朝青龍を輩出した高砂部屋」という週刊誌記事に
    対して、朝青龍って二人も三人もいたんだっけと「輩出」の使い方の間違いに嫌味を
    言ってみたり(『昼夜日記』本の雑誌社、一九頁)、・・・

爆笑したし、「嫌味を言って」然るべき「誤記」かと(^_^;) てゆーか、「誤記」ではなく誤用(^_^;)
もしかしたら、長谷正人は〈朝青龍を排出した高砂部屋〉の「誤記」と考えたとか・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;