大川豊『日本インディーズ候補列伝』(扶桑社,2007)は「選挙マニアで知られる大川興業・大川総裁。
氏が取材を続けてきた、そのまんま東、羽柴秀吉、黒川紀章、ザ・グレート・サスケ他、インディーズ
精神溢れるユニーク候補者たちの活動を一挙収録。」の由、読んでみたいけど買ってまではね(-ω-、)

【読んだ本】

ユリイカ「総特集 坪内祐三 1958-2020」2020年5月臨時増刊号

松原正『續・暖簾に腕押し』(地球社,1985)の「跋文」に「・・・/ところで今、私は『自衛隊よ、
胸を張れ』と題する本を書いてゐる。八分どほり書き上げたが、これは地球社よりも遥かに大きい
出版社から出る事になると思ふ。・・・」とあるも、松原正『自衛隊よ、胸を張れ』(地球社,1986)
の「跋文」には、地球社から出ることになった「経緯」が次のように記されていた( ̄◇ ̄;) なお、
一部の漢字は原文と違う可能性がありますm(__)m

    ・・・去る二月二日、有楽町の「胡蝶」なる料亭で私はダイヤモンド社會長
    坪内嘉雄氏に會つた。自衛隊のために今こそ瓣じなければならぬゆゑんについて、
    私が熱瓣を揮つたところ坪内氏が、「解りました。『プレジデント』で一年連載して、
    ダイヤモンド社から出版しませう」とあつさり請け合つたのである。私は感激した。
    しかるに三月十五日、『プレジデント』編輯長山本憲久氏から電話があつた。原稿は
    讀ませて貰つたが、『プレジデント』は「オピニオン雑誌」ではないから掲載できない
    との事である。私は立腹し、坪内氏に激越な手紙を書いた。翌々日、坪内氏から
    「時間を貸してくれ」との電話があつた。九月十八日まで私は「時間を貸し」た。
    が、駄目であつた。・・・そこで私は『プレジデント』連載を諦め、ダイヤモンド社から
    出版して貰ふ事にした。/しかるに十月七日、ダイヤモンド社から「賣れそうにないので
    出版できない」との返事があつた。もはや私は立腹しなかつた。坪内氏は「雇はれ社長」
    だつたのかも知れないが、ダイヤモンド社に相應の貢献はした筈、その坪内氏をもつて
    しても一冊の書物の出版すら意のままにはならないらしい。ダイヤモンド社における
    「下剋上」の非情が私には解せないだけである。/・・・

坪内祐三が、ダイヤモンド社の坪内嘉雄の御曹司で、松原正は大学院の指導教授と小生が知ったのは
かなり後のこと(´・_・`) 本誌は坪内祐三の年譜も著作目録も付いてない(´ヘ`;) 初めて読んだのは
雑誌「諸君!」掲載の論稿(坪内祐三『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』
[文春文庫,2006]の連載よりも前の単発のもの)だと思ってたけど、本誌の服部滋「『文庫千趣』を
待ちわびて 坪内祐三と文庫本」を読み、「月刊Asahi」創刊三周年特大号(1992年7月号)「20世紀
日本の異能・偉才100人」であることが判ったが、ゴミ屋敷化した書斎・書庫から同誌を発掘する
気にはなれぬ(-ω-、) 「諸君!」に常連執筆者の近況を紹介するような頁があって、坪内祐三が近く
『ストリートワイズ』を出すこととともに〈氏のことを論壇のキムタクと評する向きもある〉などと
イミフなこと(「論壇」ではなかったかも)が書かれていたのは憶えているけど、本誌の各追悼文で
複数の人がストーカーのような女性が存在したこと、あるいは婚約破棄して訴えられていたことにも
言及してたりして、女性にモテたということかと勝手に納得した(@_@;) 勿論、坪内祐三のいい話も
本誌には沢山あった(^_^;) 南伸坊「坪内さんの顔」の次の一節(72頁)なんか好き(〃'∇'〃)

    ・・・/坪内さんは稀勢の里が好きで、その稀勢の里を日馬富士が好きだったって話を、
    とてもうれしそうに話す。/「日馬富士は稀勢が大好きだから、写真とか撮られる時も、
    必ずすぐ隣に写ってるんだ」/それをとてもうれしそうに話す。/私はその話をする時の
    坪内さんの顔が好きだった。明るくて、幼いくらいな表情。/・・・

全て斜め読みだけど、どれも読み応えのある評論・随筆などから成る総特集だった(⌒~⌒) とりわけ
武藤康史「そんじょそこらの研究者より……」、浅羽通明「SF嫌いの矜持と寂寥─坪内祐三の思想
について」、長谷正人「坪内祐三における「死にがい」の探究と連合赤軍─『一九七二』を読み直す」
が勉強になった_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 速水由紀子「坪内祐三は高田馬場のギャツビーだった」に、早大の
ミニコミ誌『マイルストーン』に坪内祐三が入ったきっかけについて、坪内が入学式の日にサークル
勧誘の出店の前を歩いてたら煙草を喫ってだるそうな女子大生(速水由紀子)から強制的に勧誘され
怖くて断りきれなかったから云々と書いてたのに速水由紀子は吃驚して、その「捏造」を坪内本人に
問い詰めた瞬間(112頁)が(@_@;)

    ・・・坪内は「あっ、ごめん。あれは違うんだよね」とかなんとかもごもご言いながら
    フロアから逃げ出していったのだ。その逃げ足の速さといったら!/悪戯が見つかって
    教室から逃げる小学生並みのリアクションに愕然とした。/でもすぐにバレるおふざけを
    笑って許せる程度には、私は坪内の人間性を好きだったし信用していた。きっと彼は
    それを書きながら、中学の休み時間、黒板に同級生のデフォルメされた変顔を描くように
    楽しんでいたに違いない。だから私もそれをサークル仲間的なジャブとして楽しみ、
    謎は謎のまま残すことにしたのだ。/・・・

例えば、坪内祐三『新書百冊』(新潮新書,2003)や坪内祐三『私の体を通り過ぎていった雑誌たち』
(新潮文庫,2008)は自伝性が強くて面白いし、評論でも随所に挿み込まれる坪内自身の体験の回想が
味わい深く説得力も担保してたと思うので「捏造」「デフォルメ」もあると判っちゃうとね(@_@;)