緊急事態宣言発出後、外出を4日した以外は散歩すらせず運動不足は明白なのに体重が変わらぬ(@_@;)
摂取カロリーをどう消費してるのかな(@_@;) 読書による頭脳労働ならぬ頭脳運動かしらv( ̄∇ ̄)ニヤッ

【読んだ本】

アリストパネース(高津春繁訳)『女の平和』(岩波文庫,1951)所蔵本

多分4000円ぐらいしただろうけど、1997年に伊勢丹美術館で「ビアズリーと世紀末展」のカタログを
買った当時の自分に「よくやった!」と褒めてやりたい(⌒~⌒) チャールズ・リケッツ、ロレンス・
ハウスマン、ハリー・クラーク、アラスター、シドニー・ハーバート・サイム、ウィリー・ポガニー、
アーサー・ラッカムの作品も収録されてて、どれもメチャ素敵だから、眺めてて飽きない(〃'∇'〃)

ビアズリーの作品もモチ多数収録されているが、『リューシストラテー』(1896年)8枚についての
河村錠一郎による作品解説の一部を引く(@_@;)

    /初めての全訳であることを謳って1896年にレナード・スミザーズが出版した
    『アリストパネスのリューシストラテー』は,ビアズリーの挿絵があまりにも
    大胆であったため。私家版として100部しか印刷されなかった。/・・・
    死の近いことを悟ったビアズリーは,スミザーズに遺言ともいえる手紙を書き
    『リューシストラテー』その他,良からぬ作品をすべて破棄してくれるよう
    頼んだにもかかわらず,原画も私家版も残った。・・・

この8枚、エロスを通り越して猥褻とされかねない、まさに「良からぬ作品」(^_^;) 『女の平和』を
久しぶりに再読したら、この8枚には、『女の平和』に全く出てこないシーンを描いたものもあれば、
ディテールの描写が『女の平和』の叙述とは正反対となっていて、ビアズリーの読解力が疑われる
ようなものまである( ̄◇ ̄;) 18禁タグを増やすのもアレなんで引用論証しないけどC= (-。- ) フゥー
この点について、河村錠一郎はこの『リューシストラテー』の作品解説では一言も触れてないけど、
『サロメ』挿絵17点の作品解説では「・・・ビアズリーはワイルドの文章から離れて自由に独自の
イメージを展開した。」として具体的に指摘しているし、またワイルド『サロメ』(岩波文庫,1959)
の巻末の「解題」で訳者の福田恆存もビアズリーの挿絵が「内容に關係がない」ことを指摘している
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-05-04 )〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

『サロメ』の挿絵だけでなく他の挿絵もこうなると、ビアズリーは変わり者なんだろと思い始めたら、
高橋裕子『イギリス美術』(岩波新書,1998)に次の記述が∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    ・・・/文学作品の一場面を「文字どおり」に視覚化することはできず、
    かりにできたとしても、それでは美術作品としての効果は望めないこと
    ───しばしばその主題ゆえに、「文学的」つまり「非美術的」といわれがちな
    ヴィクトリア朝の画家たちは、じつはこのずれを充分に意識して、作品を視覚芸術
    として成功させるために知恵をしぼっている。/ヴィクトリア朝の代表的詩人
    アルフレッド・テニスンの「レイディ・オヴ[ママ]・シャロット(シャロットの姫)」
    に添えた[ラファエル前派のウィリアム・ホルマン・]ハントの挿絵(図V-9)は
    その一例である。・・・/・・・/だが、翻る髪も、姫に巻きついた織物の糸も、
    テニスンの原作には登場しない。そのため挿絵はテニスンの不興をかったということだが、
    原作にないモティーフを案出することによって、ハントははじめて原詩の核心を的確に
    視覚化しえたといってよいだろう。画家自身はこの着想が大いに気に入ったようで、
    晩年には同じ構図を大規模な油彩画に拡大している。・・・