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50余の楽天ラッキーくじを毎日コツコツ引いて1p当てようとしてる身には20p捨てるのは痛い(ノ_-;)ハア…

【読んだ本】

渡邊大門『宇喜多秀家と豊臣政権 秀吉に翻弄された流転の人生』(洋泉社歴史新書y,2018)

読了(^o^)丿 内容は「序章 宇喜多氏の出自と前史」、「第Ⅰ部 豊臣政権の〝栄光の時代〟を生きる」
(「第一章 青年大名・宇喜多秀家」「第二章 天下統一戦を戦った秀家」「第三章 秀家の栄達と芸能
好み」)、「第Ⅱ部 御家騒動、関ケ原、そして挫折へ」(「第五章 秀吉死後の急迫する情勢」
「第六章 関ケ原合戦と戦後処理」「第七章 逃亡生活から八丈島・遠島へ」)という構成で副題の通り
だけど、最初は退屈も(関心が無いから)、読み進むにつれて、だんだん面白くなり(新しい知見が
得られたから)、「おわりに」で掲げた「今後の目標」の一つの「宇喜多氏が八丈島に流されてから、
明治維新に本土に戻るまでの歴史」の執筆には期待(^o^)丿 秀吉の死の前後から関ヶ原の戦いまでの
従来の通説に修正を迫る近年の研究成果も紹介され、門外漢にとっては認識を改める手掛かりに(^^)

西軍の攻撃に備えて下野小山から伊勢に帰り安濃津城に籠った富田信高について本書212~213頁(^^)

    /富田信高が「もはやこれまで」と死を覚悟したとき、一人の若武者が
    颯爽と姿をあらわした。若武者は鎧兜に身を固め、片鎌の手槍であっという間に
    敵兵を切り伏せた。これには、信高も驚いた。信高はこの若武者が誰なのか
    周囲に尋ねるが、知っている者はいなかった。しかし、ある武将は若武者が
    化粧をし、お歯黒をしていることに気が付き、信高に女性ではないかと伝えた。/
    信高が城内に引き返すと、その若武者がそっと近づいてきた。見たことのある顔である。
    この若武者は信高の妻であり、信高が戦場で討ち死にしたとの一報を聞き、
    「同じ場所で死にたい」と出陣していたのである。/信高の妻は、名前は
    もちろんのこと生没年さえもわかっていない。唯一判明しているのは、
    宇喜多直家[←秀家の父]の弟・忠家の娘であるということだけである。
    ただし、信高の妻は、その後どうなったのかまったくわかっていない。/・・・

ちょっとした短篇小説のような面白さかと(^^) この妻のことをもっともっと調べてほしい(〃'∇'〃)

戦に敗けて、関ヶ原の戦場から離脱して潜伏・逃亡した宇喜多秀家に付き従った僅かな家臣の一人・
進藤三左衛門正次がメチャいい(〃'∇'〃) 秀家を薩摩(実際には大隅だった由)へ逃亡させるまでの
活躍がメチャ素晴しい(^^) 「正次は金子一枚で、大坂の天満(大阪市北区)で船を借り、秀家を薩摩
行きの船に乗せた。道中では物入りと考え、金子二枚を秀家に渡したが、秀家は生まれながらの大名
だったので、その価値がわからなかったという。」(本書237頁)のが可笑しい(^_^;) 徳川方からの
尋問に機転を利かせた対応をし、後に虚偽と発覚しても、正次は罰せられることなく、かえって主君
秀家に対する忠義が賞され、後に駿府に出仕して家康の御伽衆になったというのも首肯出来るね(^^)

本書には誤植や誤記も散見されたが、歴史研究は政治史中心ゆえ歴史家は文化史に弱い、てゆーか、
教養が無いのではないかと疑わせるような例証が本書252頁にもあった〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/秀家が八丈島に流された際、上乗[うわのり]したのが渡邊織部である(『譜牒
    餘録後編』)。・・・その際、船中で秀家から書写した漢詩文『和漢朗詠集』を贈られた
    と伝わる。/・・・

菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)の巻末の索引には、
「漢詩文索引」と「和歌初句索引」があるオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ! それにしても下田から(と本書は
推定する)八丈島までの間の「船中で」、『和漢朗詠集』を全て「書写した」とは凄いね( ̄◇ ̄;)