はじドラ様のnice!が押されるブログと押されないブログ、その差を生じさせるものは何か、を夏休みの
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【買った本&読んだ本】

芸術新潮2019年9月号

先月24日発売の新品を一割引きで購入(^_^;) 特集は〈応挙にはじまる。「日本画」誕生!〉(⌒~⌒)

編集部によるイントロダクション〈「日本画」とは何か 誰がそれを生み出したのか〉からメモ(^o^)丿

    ・・・「日本絵画」はとにかく日本で描かれた絵画のすべてをさす。・・・/では、
    「日本画」とはなんなのか。・・・要するに明治以降に描かれた絵画のうち、
    日本古来の画材(墨および膠で溶いた顔料、支持体は紙や絹)を用いた作品というのが
    その定義。ただし、典型的な日本画においては、さらに別の要件がかかわる。
    それは西洋美術との格闘を内在化した、再現的(具象的)な絵である、ということだ。/
    日本画の成立は一般に、[明治中期の狩野]芳崖の《悲母観音》をメルクマールとする。
    それは芳崖と、まさに西洋人であるアールスト・フェノロサとの二人三脚により、
    自覚的に作りだされた新時代の日本絵画の規範であり、作品の完成とほぼ同時に
    東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)が開設された点でも象徴的な意味を持つ。
    ・・・とはいえ、これが日本画成立の唯一のルートだったわけではない。/「明治40年
    (1907)に文展(文部省美術展覧会)が発足して、・・・[横山]大観・[菱田]
    春草をはじめとする東京美術学校出身者の作品と、[竹内]栖鳳・[木島]櫻谷たち
    京都の画家の作品が一つの会場に横並びで展示されたわけですが、両者にじつは
    大きな差はないことが改めてそこではっきりしてしまった」/と語るのは・・・
    古田亮・・・。国立の美術学校卒業生の作品と、前近代的な画塾出身の京都の画家の
    作品に決定的な差がないとすれば、近代性を標榜する教育システムの沽券にも
    かかわりかねないが、しかしこれは話が逆で、今や一地方にすぎないはずの京都に、
    帝都東京にひけをとらないだけの創造力が蓄積されていた理由を思うべきなのだろう。
    その鍵となるのが、その時点までの過去100年にわたり京都絵画界の主流を占めた
    円山・四条派の存在である。・・・平井啓修・・・は、円山・四条派は同じく派といっても、
    狩野派のような家元制度によってがっちり統制されたものではなかったと述べる。/
    「円山応挙の流れを汲むのが円山派、[与謝]蕪村と応挙に学んだ呉春の流れを汲むのが
    四条派です。・・・」/円山・四条派にはなぜ絵画の近代化を担う力があったのか、・・・

管見によれば、芸術新潮2004年2月号の特集「円山応挙 写生の冒険」でも、円山応挙=日本画の祖と
佐々木丞平&佐々木正子が既に次のように述べてたけどね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
    
    狩野派が幕府奥絵師を頂点とするピラミッド型の組織だったのに対し、円山派は
    応挙をリーダーにゆるやかに結びついたグループくらいに思えばよいでしょう。
    このように、師弟関係のあり方ひとつとっても、応挙は近代のさきがけをなしている。
    実際の画系としても、[円山]応瑞の系統に結城素明や平福百穂が、呉春の系統に
    幸野楳嶺、竹内栖鳳、川合玉堂、さらに上村松園や土田麦僊、橋本関雪、入江波光、
    村上華岳、小野竹喬、福田平八郎らが輩出していますから、応挙はまさに
    近代日本画の祖と言っていい。
    
今回の特集に掲載の各作品、どれも素晴しいけど、個人的に大爆笑しちゃった件を挙げとく(⌒~⌒)

伊野孝行による漫画「そのとき江戸では 18世紀後半」の最終コマに、タイムマシン(?)で現われた
フェノロサの次の台詞がその一つ(^_^;)

    ・・・日本美術は素晴しい! でも、[谷]文晁サンごめん 南画はよくワカリマセーン!
    漢文の素養ないし きっと未来の日本人もそうなっちゃうね ま、テキストで絵を補うなんて
    邪道な感じ? もっと純粋に絵で勝負しなくちゃ それが近代なのよ!

コレと対になるのが、「第四章 平安四名家がつむいだ泰平の夢」の平井啓修による解説の冒頭(^_^;)

    「応挙が世に出て、写生ということが流行りはじめ京中の絵がそれ一色になっている」
    と書いたのは上田秋成ですが、写生画がそれほどまでに隆盛した理由のひとつに、
    絵画の需要層として新興の富裕層が新たに台頭してきたことが挙げられます。
    応挙の写生画は漢詩漢文などの教養がなくとも見ただけで楽しめる。すでに見たとおり、
    その後出てきた各流派も基盤にあるのは応挙の写生の精神でした。・・・

教養がないらしく、読み解けなくて愉しむことが出来ず、写生を唱えた例の男を連想した次第(^_^;)

「中野京子が読み解く画家とモデル」の連載第17回「クノップフと《愛撫》」、前橋重二による短期
集中連載「レオナルド・ダ・ヴィンチ500年めの真実 万能の天才が探究していたのは何だったのか」
の第4回「デューラーとレオナルドの宇宙観」_φ( ̄^ ̄ )メモメモ カレー沢薫の特別展「三国志」(^_^;)