崖の上から男が立小便をして、その小便を崖下の人が嬉々として浴びているという絵を凶行に出る前に
平賀源内が描いていたという話がみなもと太郎『風雲児たち 8 さらば源内』(希望コミックス,1984)
に出てたけど、未だに出典を調べてないや(´・_・`) 一遍上人の小便を欲しがる人々が、上人を囲んで
その股間に筒を差し込んでいる絵は、鎌倉時代の作とされる『天狗草紙』に出ているらしいね(@_@;)
降ったり止んだりで今日は30度には達しなかったけど、明日は34度との予報∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!?
【読んだ本】
石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)所蔵本
朝日新聞の25日朝刊の「和歌でたどる 令和の紅葉」と題された記事で、『古今和歌集』に入っている
菅家の「このたびは 幣[ぬさ]もとりあへず 手向山[たむけやま] 紅葉の錦 神のまにまに」という
『百人一首』の歌を取り上げて、次の説明がなされているが、「学者だから」が全くのイミフ(@_@;)
平安前期、菅家こと菅原道真はもみじを題材にした歌を詠んだ。漢詩や和歌をたしなむ
学者であり、右大臣にまで出世した政治家でもあった。/中西[進]さんは、
奈良と平安の文化が交差する時代に生きた道真ならではの、当時の日本の伝統と
中国の先進的な知識が混ざり合ったユーモアがある、と指摘する。「山の神に対し、
学者だから『何も差し上げられません。だから、このもみじをお納めください』
という言葉の遊びが風流で文雅だ」/・・・
この中西進の説明を「取材」した「笹木菜々子、下島智子、伊藤めぐみ」は理解・納得できたのか(゚ロ゚;)
話を進める前に、「幣[ぬさ]」とは何なのか、本書の〔語釈〕による説明を引いておく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
昔は道中の各所に道祖神が祭ってあり、旅人はそれに旅の安全を祈ったが、その時に
奉ったのが幣といって、錦または絹を細かに刻んだもので、幣袋に入れて携帯した。
んで、本書の〔諸説〕が紹介している、この歌の論点に関する学説状況は次の通りであるC= (-。- ) フゥー
「このたびはぬさもとりあへず」については、およそ三説がある。(一)第一は
「御幸の御供のいそがしさに」幣も持って来ることができなかったとするもので
(八代集抄・実枝・正明・富士谷成元・谷口元淡等)、「とりあへず」という語が、
普通に急ぐ場合に用いられることが多いところから来た俗説である。(二)次には、
君の御供を第一とする心から、普通の旅行の心はなく、したがって幣など持って来る
ことができなかったとする説である。(季吟・契沖・茂睡・彦麿・真淵・雅嘉等)。
(三)第三は景樹の説で、余りの紅葉の美しさに見すぼらしく感じて、
自分の持っている幣など捧げることができないという意とするもので、
「とりあへず」を「捧げ得ない」と解くものである。このような歌では、
紅葉の美しさを第一において賞するのが普通であるから、この第三の説が、
真に近いものであろうと思われる。
ちなみに、片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』(講談社学術文庫,2019)は第一の説を採用してるし、
島津忠夫(訳注)『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,2008新版16版)も撰者・定家の解釈としては
第一の説に従う由(^^) さて、上記の如く中世から積み上げられてきた『古今和歌集』『百人一首』の
研究・注釈の歴史、また少なくとも小生の手元にある現代の『古今和歌集』『百人一首』の各注釈書
(カラー版とかイラスト入りなどといった素人ライターの手によるゴミ本の類いに非ず)を調べても、
中西進の「学者だから『何も差し上げられません。」などという解釈はどこにも出ていない(@_@;)
中西進は『万葉集』が専門で、『古今和歌集』や『百人一首』にも詳しいようには思えないんだけど、
元号考案者になると、その小便でも有難がって飲む人まで出てくるということかしらヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
ちなみに、中西進は「言葉の遊びが風流で文雅だ」と高評するが、本書の〔鑑賞〕には次の評(^_^;)
・・・しかし、現代の人々にどうしても分らないのは、紅葉の美しさをたたえようとする
この歌が、なぜ率直に「ああ、すてきに美しい」と叫ばないで、幣がどうのこうのと、
廻りくどいことを言っているかであろう。これが漢詩の影響から逃げきれないでいる
当時の歌の悲しさではあるまいか。・・・
なお、「藤原定家が百人一首を編んだ山荘があったとされる小倉山(同市右京区、標高296㍍)の
ふもとに足を運んでみよう。」という不勉強な記述もあるから、いい加減な「取材」記事だな(^_^;)
[追記190829]
『[幣の代わりに]・・・このもみじをお納めください』なる表現が「学者だから」という意だった
としても、『古今和歌集』には幣の代わりに紅葉を手向ける歌が数首あり、例えば、紀貫之「秋の山
もみぢを幣と手向くれば住む我さへぞ旅心地する」、凡河内躬恒「道知らば訪ねも行かむもみぢ葉を
幣と手向けて秋は去にけり」があるけど、貫之も躬恒も「学者」ではないオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』(講談社学術文庫,2019)には、〈・・・「もみぢ」を「錦」に
見立てる表現が漢詩の影響から生まれ、『古今集』時代に一般的になった・・・〉と指摘されてるし、
〈紅葉 → 錦 → 幣〉という連想は漢詩が一般的な教養だったからで、「学者だから」ではない(-"-)
平賀源内が描いていたという話がみなもと太郎『風雲児たち 8 さらば源内』(希望コミックス,1984)
に出てたけど、未だに出典を調べてないや(´・_・`) 一遍上人の小便を欲しがる人々が、上人を囲んで
その股間に筒を差し込んでいる絵は、鎌倉時代の作とされる『天狗草紙』に出ているらしいね(@_@;)
降ったり止んだりで今日は30度には達しなかったけど、明日は34度との予報∑( ̄ロ ̄|||)にゃんと!?
【読んだ本】
石田吉貞『百人一首評解』(有精堂出版,1956)所蔵本
朝日新聞の25日朝刊の「和歌でたどる 令和の紅葉」と題された記事で、『古今和歌集』に入っている
菅家の「このたびは 幣[ぬさ]もとりあへず 手向山[たむけやま] 紅葉の錦 神のまにまに」という
『百人一首』の歌を取り上げて、次の説明がなされているが、「学者だから」が全くのイミフ(@_@;)
平安前期、菅家こと菅原道真はもみじを題材にした歌を詠んだ。漢詩や和歌をたしなむ
学者であり、右大臣にまで出世した政治家でもあった。/中西[進]さんは、
奈良と平安の文化が交差する時代に生きた道真ならではの、当時の日本の伝統と
中国の先進的な知識が混ざり合ったユーモアがある、と指摘する。「山の神に対し、
学者だから『何も差し上げられません。だから、このもみじをお納めください』
という言葉の遊びが風流で文雅だ」/・・・
この中西進の説明を「取材」した「笹木菜々子、下島智子、伊藤めぐみ」は理解・納得できたのか(゚ロ゚;)
話を進める前に、「幣[ぬさ]」とは何なのか、本書の〔語釈〕による説明を引いておく( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
昔は道中の各所に道祖神が祭ってあり、旅人はそれに旅の安全を祈ったが、その時に
奉ったのが幣といって、錦または絹を細かに刻んだもので、幣袋に入れて携帯した。
んで、本書の〔諸説〕が紹介している、この歌の論点に関する学説状況は次の通りであるC= (-。- ) フゥー
「このたびはぬさもとりあへず」については、およそ三説がある。(一)第一は
「御幸の御供のいそがしさに」幣も持って来ることができなかったとするもので
(八代集抄・実枝・正明・富士谷成元・谷口元淡等)、「とりあへず」という語が、
普通に急ぐ場合に用いられることが多いところから来た俗説である。(二)次には、
君の御供を第一とする心から、普通の旅行の心はなく、したがって幣など持って来る
ことができなかったとする説である。(季吟・契沖・茂睡・彦麿・真淵・雅嘉等)。
(三)第三は景樹の説で、余りの紅葉の美しさに見すぼらしく感じて、
自分の持っている幣など捧げることができないという意とするもので、
「とりあへず」を「捧げ得ない」と解くものである。このような歌では、
紅葉の美しさを第一において賞するのが普通であるから、この第三の説が、
真に近いものであろうと思われる。
ちなみに、片桐洋一『古今和歌集全評釈(中)』(講談社学術文庫,2019)は第一の説を採用してるし、
島津忠夫(訳注)『新版 百人一首』(角川ソフィア文庫,2008新版16版)も撰者・定家の解釈としては
第一の説に従う由(^^) さて、上記の如く中世から積み上げられてきた『古今和歌集』『百人一首』の
研究・注釈の歴史、また少なくとも小生の手元にある現代の『古今和歌集』『百人一首』の各注釈書
(カラー版とかイラスト入りなどといった素人ライターの手によるゴミ本の類いに非ず)を調べても、
中西進の「学者だから『何も差し上げられません。」などという解釈はどこにも出ていない(@_@;)
中西進は『万葉集』が専門で、『古今和歌集』や『百人一首』にも詳しいようには思えないんだけど、
元号考案者になると、その小便でも有難がって飲む人まで出てくるということかしらヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
ちなみに、中西進は「言葉の遊びが風流で文雅だ」と高評するが、本書の〔鑑賞〕には次の評(^_^;)
・・・しかし、現代の人々にどうしても分らないのは、紅葉の美しさをたたえようとする
この歌が、なぜ率直に「ああ、すてきに美しい」と叫ばないで、幣がどうのこうのと、
廻りくどいことを言っているかであろう。これが漢詩の影響から逃げきれないでいる
当時の歌の悲しさではあるまいか。・・・
なお、「藤原定家が百人一首を編んだ山荘があったとされる小倉山(同市右京区、標高296㍍)の
ふもとに足を運んでみよう。」という不勉強な記述もあるから、いい加減な「取材」記事だな(^_^;)
[追記190829]
『[幣の代わりに]・・・このもみじをお納めください』なる表現が「学者だから」という意だった
としても、『古今和歌集』には幣の代わりに紅葉を手向ける歌が数首あり、例えば、紀貫之「秋の山
もみぢを幣と手向くれば住む我さへぞ旅心地する」、凡河内躬恒「道知らば訪ねも行かむもみぢ葉を
幣と手向けて秋は去にけり」があるけど、貫之も躬恒も「学者」ではないオホホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)
片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』(講談社学術文庫,2019)には、〈・・・「もみぢ」を「錦」に
見立てる表現が漢詩の影響から生まれ、『古今集』時代に一般的になった・・・〉と指摘されてるし、
〈紅葉 → 錦 → 幣〉という連想は漢詩が一般的な教養だったからで、「学者だから」ではない(-"-)