今朝5時半に目が覚めたら室温が29度∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!? 気温も27度あったけどね(@_@;)
そんなに寝苦しくは感じなかったけど予想以上に眠かった(+_+) 向かいの豪邸、大企業のトップだった
だけあって、呼んだ剪定業者は強風で飛び散ったのを拙宅前の側溝に落ちたのまで回収して帰った(^^)
ガスの検針票が郵送で届くも、検針員が交代しポストが見付からなかったという責任者の説明だったが、
検針員の名は従来と同じで予定日だった25日に検針しており、消印は26日の18時-24時である(@_@;)
検針員が投函し忘れてて昨日の小生からの問い合わせの電話で初めて気付き慌てて郵送が真相か(^_^;)

【読んだ本】

新田次郎『怒濤の中に』(文春文庫,1979)所蔵本

山を舞台とした小説=山岳小説で有名な新田次郎だが、本書所収の6つの中・短篇は海洋小説らしくて、
昨日の「詩吟艦長」に続いて、今日は「航路」「渦」「怒濤の中に」の3作品を読んだ(⌒~⌒)

「航路」は「第一部」と「第二部」から成り、計100頁近い中篇(^^) 主人公は共通で若く、第一部は
大正9年に新任の無線局長として紅海丸に乗り組むも船員の半年分の副食費を着服して退船させられた
司厨長の後任も兼ねさせられて・・・長い航海では色んなことがあるんだね( ̄◇ ̄;) キーパースンの
二等運転士の「船乗りってものは、なにをしても後悔しちゃあいけないんだ」という台詞と、船長の
「・・・船乗りになるにはそういう経験が重要なんだ。船乗りは航跡を気にしちゃあいけない。航跡は
美しいよ。だがすぐ消える」という台詞が印象的だけどね(^_^;) 『小説に書けなかった自伝』(新潮
文庫,2012)によれば、無線通信士と無線技術士、それぞれの第一級の資格を新田次郎は持ってる(^^)
第二部は大正10年に室蘭と米国を往復する「札付きの」貨物船青海丸に無線通信士として乗り組んだら
密航者に気付いて・・・「スリラーふうな味わい」(小松伸六「解説」)もあって、意外な真相(^_^;)

短篇「渦」は気象観測船の春風丸に勤務する主人公が渦を見ているとマラリアの発作を起こすんだけど、
それは子供の頃の事故のトラウマで・・・正直よく解らなかった(@_@;)

短篇「怒濤の中に」は「気象学の根底となる海上気象観測」を行なう気象観測船の秋風丸に初めて乗り
組んだ主人公が北太平洋での定点観測に携わる話で、いやはや、気象士の業務は命がけですなぁ(゚ロ゚;)
小松伸六「解説」を引いておこうかな〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/この小説のすぐれた点は、まず海上の特別な技術者である気象士からみた
    〈海〉であり、〈船〉の生活であり、〈人間関係〉であることだ。この視点の設定は、
    海の小説としては始[ママ]めてのことだと思う。/日本の近代文学でも名作といわれる
    海の小説がないわけではない。戦前では前田河広一郎「三等船客」、葉山嘉樹
    「海に生くる人々」、小林多喜二「蟹工船」、石川達三「蒼氓」などを思い出すが、
    これらの作品に登場する群像はいずれも苛酷な労働条件で働く、めぐまれない
    下級海上労働者たちであり、マドロスの悲哀である。したがって船は階級闘争の場
    というテーマがあらわに出てくるのも当然である。戦争中の海戦記ものは別として、
    戦後になると檀一雄の南氷洋捕鯨船記である「ペンギン記」や、うなぎのルーツをたどる
    火野葦平「赤道祭」、船医を主人公にした北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」、
    夏と海を描く三島由紀夫「潮騒」「真夏の死」などがあるのだが、ここには
    ロマンチックな海はあっても、生活感がうすい。それらの作品群のなかに新田作品を
    おいてみると、前述したように技術生活者である気象士たちが作品の中心にすえられて
    船の生活と海(自然)が描かれていることだ。葉山、小林らプロレタリア文学作品には、
    漁夫、火夫ら下級船員たちの非人間的な生活感情はよく描かれていたが、高級船員は
    ただちに悪玉としてとらえられ、海のロマンなどは一切書かれていなかったように思う。
    また戦後作品は、ロマンチックな海洋旅行記であり、時には兇暴な海洋も出てくるが、
    こんどは海を生活するという感じがうすいようにおもわれた[ママ]。新田次郎
    「怒濤の中に」は、漁師とも船員ともちがう気象士という新しい技術職業家が主人公
    として登場しているので、これまでの海の小説とはちがった、特異な海の小説が
    展開されたわけだ。/・・・