夜明け前に目が覚めて二度寝したら寝坊(-ω-、) なのに昼間は眠くて、踏んだり蹴ったりの感(´ヘ`;)
頭もほんのり痛いけど第25回参議院議員選挙に行ってきた(´・_・`) 平仮名で書こうとしちゃった(^_^;)

【読んだ本】

三角洋一(全訳注)『堤中納言物語』(講談社学術文庫,1981)所蔵本

かしら、かしら、ご存知かしら? 「蜂飼大臣」という優雅な人物のことを〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
西行の『山家集』に入っている歌の詞書に出てきたので、知ったんだけどねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

浅見和彦(校注・訳)『新編 日本古典文学全集51 十訓抄』(小学館,1997)から現代語訳で(⌒~⌒)

    ・・・/総じて、蜂という虫は短小の虫であるけれども、仁智の心を持っていると
    いわれている。/それゆえ、京極太政大臣藤原宗輔公は、蜂を数限りなく
    お飼いになって、「なんとか丸」「かんとか丸」と名付けて、それらをお呼びになると、
    お召しに随ってやって来るのだった。侍たちをお叱りになる時など、「なんとか丸、
    誰それを刺してこい」とおっしゃられると、その通りに蜂たちは働き回ったという。/
    出仕の時は、牛車の左右の物見窓の辺りを、ブンブンと飛び回っているのを、
    「とまれ」とおっしゃられると、蜂たちはとまったという。世間では、宗輔公のことを、
    「蜂飼の大臣」とお呼びしていた。不思議な徳のおありになった方である。
    漢の蕭芝[しょうし]という人が、雉を随えていたという話と同じである。/・・・

蜂に付けた名前が「なんとか丸」や「かんとか丸」だなんて、『十訓抄』だとセンスを感じないけど、
『今鏡』の「藤波の下 第六」の「唐人の遊び」から、宗輔に関する一節の一部を、竹鼻績(全訳注)
『今鏡(中)』(講談社学術文庫,1984)の現代語訳で引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/[宗忠の]弟の宗輔の太政大臣は、笛のわざをきわめなさいました。
    あまりに性格が古風で、当世の人とはちがっていらっしゃいました。
    菊や牡丹などを、みごとに大きく育てあげてたいせつにし、院にも献上などして
    [ ← 西行の歌の詞書にも菊を献上とある]、あれこれの国家の政務などには、
    まったく御意見を申しあげることはありませんでした。あまりに俊足で
    いらっしゃるということで、御供の人も追いつき申しあげませんでした。/
    意外なことは、蜂といって人を刺す虫を好んで飼育なさいました。唐紙などに蜜をぬって、
    高くかかげて持ち歩きなさると、数知れず飛んできてあちこち飛びまわるけれど、
    たいがいはまったく宗輔を刺し申しあげることはしませんでした。足高[あしたか]、
    角短[つのみじか]、羽斑[はねまだら]などという名前をつけて呼ばれたので、
    お召しに応じて、(自分の名を)わかっていてどの蜂も飛んできては
    (殿の側に)群がりとまっていました。/・・・

さて、三角洋一は本書所収の「虫めづる姫君」の話の〈鑑賞〉で、毛虫を愛する主人公の姫君について、

    ・・・このようなグロテスクな猟奇趣味の話としては、『今鏡』藤波の下・唐人の遊び
    などで有名な、「蜂飼の大臣」藤原宗輔のことが知られている。

と記すが、『今鏡』の話のどこが「グロテスクな猟奇趣味」なんだよヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!