Win7のノーパソも寿命が近いのか、今朝は訪問した複数のブログで画像が開かなかった((;゚Д゚)ヒィィィ!
後で再訪問したら、画像もフツーに見られたけど、トンチンカンなコメント書き込んだことに気付いて、
にゃごにゃご様、書き直しちゃって、ごめんなさいm(__)m nice!を押しても押されてないこともあって、
nice!の有難味を世界一理解してる小生だから、ちゃんと押せたか面倒でも確認している( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
有難味を知らぬブログ主が多いけどC= (-。- ) フゥー 雨が止んで晴れている時間帯に歩き廻って、昨日は
13230歩で8.5km、今日は既に16365歩で10.6kmオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 健診対策オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
ネジバナがあったという場所と今回新たに植えた場所が判明も、モチこの時季には咲いてない(´・_・`)
【読んだ本】
杉本苑子『春風秋雨』(文春文庫,2001)所蔵本
「暮らしの中のこぼれ話」「旅の楽しみ」に続き、「歴史への思い入れ」という随筆群に分類された
「糖尿病多発の藤原摂関家」「絵巻の中の肖像」「天来の音楽」「息づきはじめた想像の世界」
「小心と豪放」「逆立ち地蔵」「珠の段」の7篇と「あとがき」を読み、苑子タンの「六冊目の随筆集」
(あとがき)読了(^^) なお、「逆立ち地蔵」は『歴史エッセイ 江戸散策』(旺文社文庫,1985)所収
の「大和郡山」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2016-07-11 )と同一か(^_^;)
「糖尿病多発の藤原摂関家」という一篇は服部敏良『王朝貴族の病状診断』を取り上げてた(@_@;)
「平安朝時代はハイソサエティといえども栄養の摂取量がたりず、平均寿命は三十代そこそこ」云々
という「私たちの、誤った固定観念を打ち破ってくれた」と苑子タンが同書を評価するのはさておき、
・・・/『公卿補任』をもとに服部氏が算出した当時[=平安時代?]の公卿の
平均寿命は六十・四歳。足利・徳川の将軍たちの、四十九・六歳をはるかに
上回っているのにも驚かされた。/・・・
この対比は理解に苦しむ(@_@;) 足利15代と徳川15代を合わせて比較対象とするのがイミフ(@_@;)
邪推すると、公卿のサンプル数はメチャ多そうだが、他方で足利15代か徳川15代だけでは少な過ぎて、
不当比較になるからかも(@_@;) それに、足利15代の時代は乱世であり、配下に殺されたり、陣中に
歿したり、流浪の果てに野垂れ死にしたりなどで、平均寿命を下げているのではないかと愚考(@_@;)
とまれ、本書は歴史関係の随筆は勉強になったし、身辺雑記の類も苑子タンの人柄を感じた(〃'∇'〃)
「一粒の目」なる一篇、臨終間近な病人が病室の内部をじっとみつめてる描写が幸田文の『おとうと』
にはあり、その中に「これが見納めの目というのか」とあったのが「忘れがたい記述である」という
書き出しで始まるが、苑子タン、暮れに届いた、中が鮭の頭の手作りの昆布巻きを食べてると固い物が
舌に触れたが、それは直径1cm足らずの白い丸い玉だった( ̄◇ ̄;)
・・・「鮭の目だ」と、すぐわかった。同時に、私のまなうらに拡がったのは、
この目が、一匹の鮭と共に在った日の、情景のさまざまだった。/
卵からかえった瞬間、体長の半ばを占める大きな目は、まず何を認識しただろう。
稚魚に育ち、川を下るときは仲間にはぐれまいとして、一杯に見ひらかれていたはずだし、
海に出て以降はエサの捕食と、攻撃してくる敵から身を守るために、目としての役割を、
懸命に果しつづけたにちがいない。/そして再び、生まれた川に帰ってこようとし、
見おぼえのある河口の景色を、この目はとらえる。しかし直後に、鮭の生は断ち切られた。
網か。釣り針か。ともあれ、抵抗しがたい理不尽な力に遇って暴れ、屈しかけ、
それが何であるか知ろうとしながら知りえない混乱の底で、この目は何を見たのだろう。
何を「見納め」として、その機能を終えたのだろう。せめて一瞬でも、
かつて馴れしたしんだ青い水の色、空の色であってほしかったと、私は思った。
感傷かもしれないが、切実に、そう思った。
・苑子タンの父親になりすました男が荻窪のバーに毎晩飲みに来て娘自慢をしていたという話(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-03
・直木賞受賞翌日に「Wさんみたいになる」と言われた苑子タン、「一作作家」の「Wさん」とは誰?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-06
・寝る前には本を読むという苑子タンだが、歴史小説は読まなかった由∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-12
・苑子タンが刊行直後に自作について語っている文章は実はイヤイヤ応じたものだったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-14
・師匠吉川英治の詩とその書の評価(⌒~⌒) 苑子タンの文庫本未収録と思しき作品について( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-19
・こんなイミフな要約、天声人語子は頭が悪いだけではなく心が無いぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-27
・苑子タンも中公読売文春の各出版社も愛読者も、みーんな、頭悪いぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-15
・正倉院の宝物も苑子タンは歴史小説の書き手として眺めてしまうという悲しい性よのぉC= (-。- ) フゥー
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-17
後で再訪問したら、画像もフツーに見られたけど、トンチンカンなコメント書き込んだことに気付いて、
にゃごにゃご様、書き直しちゃって、ごめんなさいm(__)m nice!を押しても押されてないこともあって、
nice!の有難味を世界一理解してる小生だから、ちゃんと押せたか面倒でも確認している( ̄ヘ ̄)y-゚゚゚
有難味を知らぬブログ主が多いけどC= (-。- ) フゥー 雨が止んで晴れている時間帯に歩き廻って、昨日は
13230歩で8.5km、今日は既に16365歩で10.6kmオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*) 健診対策オホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!
ネジバナがあったという場所と今回新たに植えた場所が判明も、モチこの時季には咲いてない(´・_・`)
【読んだ本】
杉本苑子『春風秋雨』(文春文庫,2001)所蔵本
「暮らしの中のこぼれ話」「旅の楽しみ」に続き、「歴史への思い入れ」という随筆群に分類された
「糖尿病多発の藤原摂関家」「絵巻の中の肖像」「天来の音楽」「息づきはじめた想像の世界」
「小心と豪放」「逆立ち地蔵」「珠の段」の7篇と「あとがき」を読み、苑子タンの「六冊目の随筆集」
(あとがき)読了(^^) なお、「逆立ち地蔵」は『歴史エッセイ 江戸散策』(旺文社文庫,1985)所収
の「大和郡山」(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2016-07-11 )と同一か(^_^;)
「糖尿病多発の藤原摂関家」という一篇は服部敏良『王朝貴族の病状診断』を取り上げてた(@_@;)
「平安朝時代はハイソサエティといえども栄養の摂取量がたりず、平均寿命は三十代そこそこ」云々
という「私たちの、誤った固定観念を打ち破ってくれた」と苑子タンが同書を評価するのはさておき、
・・・/『公卿補任』をもとに服部氏が算出した当時[=平安時代?]の公卿の
平均寿命は六十・四歳。足利・徳川の将軍たちの、四十九・六歳をはるかに
上回っているのにも驚かされた。/・・・
この対比は理解に苦しむ(@_@;) 足利15代と徳川15代を合わせて比較対象とするのがイミフ(@_@;)
邪推すると、公卿のサンプル数はメチャ多そうだが、他方で足利15代か徳川15代だけでは少な過ぎて、
不当比較になるからかも(@_@;) それに、足利15代の時代は乱世であり、配下に殺されたり、陣中に
歿したり、流浪の果てに野垂れ死にしたりなどで、平均寿命を下げているのではないかと愚考(@_@;)
とまれ、本書は歴史関係の随筆は勉強になったし、身辺雑記の類も苑子タンの人柄を感じた(〃'∇'〃)
「一粒の目」なる一篇、臨終間近な病人が病室の内部をじっとみつめてる描写が幸田文の『おとうと』
にはあり、その中に「これが見納めの目というのか」とあったのが「忘れがたい記述である」という
書き出しで始まるが、苑子タン、暮れに届いた、中が鮭の頭の手作りの昆布巻きを食べてると固い物が
舌に触れたが、それは直径1cm足らずの白い丸い玉だった( ̄◇ ̄;)
・・・「鮭の目だ」と、すぐわかった。同時に、私のまなうらに拡がったのは、
この目が、一匹の鮭と共に在った日の、情景のさまざまだった。/
卵からかえった瞬間、体長の半ばを占める大きな目は、まず何を認識しただろう。
稚魚に育ち、川を下るときは仲間にはぐれまいとして、一杯に見ひらかれていたはずだし、
海に出て以降はエサの捕食と、攻撃してくる敵から身を守るために、目としての役割を、
懸命に果しつづけたにちがいない。/そして再び、生まれた川に帰ってこようとし、
見おぼえのある河口の景色を、この目はとらえる。しかし直後に、鮭の生は断ち切られた。
網か。釣り針か。ともあれ、抵抗しがたい理不尽な力に遇って暴れ、屈しかけ、
それが何であるか知ろうとしながら知りえない混乱の底で、この目は何を見たのだろう。
何を「見納め」として、その機能を終えたのだろう。せめて一瞬でも、
かつて馴れしたしんだ青い水の色、空の色であってほしかったと、私は思った。
感傷かもしれないが、切実に、そう思った。
・苑子タンの父親になりすました男が荻窪のバーに毎晩飲みに来て娘自慢をしていたという話(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-03
・直木賞受賞翌日に「Wさんみたいになる」と言われた苑子タン、「一作作家」の「Wさん」とは誰?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-06
・寝る前には本を読むという苑子タンだが、歴史小説は読まなかった由∑( ̄ロ ̄|||)にゃんですと!?
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-12
・苑子タンが刊行直後に自作について語っている文章は実はイヤイヤ応じたものだったヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-14
・師匠吉川英治の詩とその書の評価(⌒~⌒) 苑子タンの文庫本未収録と思しき作品について( ̄◇ ̄;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-19
・こんなイミフな要約、天声人語子は頭が悪いだけではなく心が無いぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-06-27
・苑子タンも中公読売文春の各出版社も愛読者も、みーんな、頭悪いぞヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-15
・正倉院の宝物も苑子タンは歴史小説の書き手として眺めてしまうという悲しい性よのぉC= (-。- ) フゥー
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-07-17