「科学戦隊ダイナマン」の主題歌をカラオケでチョイスすると必ず全員で熱唱となり盛り上がった記憶
が急に蘇った(´・_・`) だけど、検索して調べると、同番組が放送されていた時期は、小生は全くTVを
視ていなかった頃( ̄◇ ̄;) 今も歌えるがいつ覚えた歌なのかさっぱり分からぬ(@_@;) 昨日の夕食は
思い出せないし、昼に何を食べたかも即答できないぐらいだから、自分史とか書ける人を尊敬(-ω-、)

【読んだ本】

芸術新潮1990年11月号所蔵誌

他人様のブログの影響で、昨夜は由水常雄『正倉院の謎 激動の歴史に揺れた宝物』(中公文庫,1987)
を寝床で読んだ(^_^;) 貼られている付箋の種類(サイズ)から、学生時代に読了したものでないことは
たしかで、内容は全く憶えてないけど、知的興趣に満ちた本だったということだけは記憶している(^^)
んで、今日は本誌の特集「天皇と宝物 天皇家が誇る宝物の来し方、行くすえ」を拾い読みしたよ(^_^;)
「物語御物史」の中の「御物献上史」では、長州の井上馨の話を紹介してた(⌒~⌒) 井上馨は、古美術
の収集家を訪ねて、めぼしい作品があると、「しばらく自分に貸してほしい」と言って、借りたら絶対
に返さず自分の物にしてしまうことで有名だったらしいヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ しかし、相手は維新の元勲ゆえ
収集家たちは断れず泣く泣く作品を手放していた由(´ヘ`;) 伝牧谿の《蘿蔔図》《蕪菁図》の対幅も
川崎造船所の創始者・川崎正蔵から「しばらく自分に貸してほしい」と取り上げたものだったが(一幅
のみという説も)、

    この井上の私邸に天皇が行幸し、歌舞伎を観覧したのは、明治二十年(一八八七)
    四月二十六日。明治天皇の歌舞伎観覧はこれが初めてで、失礼があってはならぬと
    燕尾服姿の者が芝居の幕を開けたり、団十郎が感涙にむせんだり、というようなことが
    あったらしい。それはともかく、お気に召したものがあれば献上したい旨、井上が
    申し出ていたため、天皇の御意にかなった伝牧谿対幅と趙昌の《牡丹図》が献上品
    として持ち帰られた。/この時、井上自身は対幅のうち一幅だけ献上したつもりだった
    らしい。しかし、残しておいたはずの一幅がどうしても見つからない。調べてみると、
    どういう行き違いか二幅とも献上されていることが判明。こんなはずではなかったと
    井上は、一幅を自分に戻してくれるよう天皇に願い出る。天皇は「呵々と御笑い遊ばされ」
    せっかく持ち帰ったものだから二幅とも手許に留め置こうと答えたという。さすがの
    井上も天皇には勝てなかったというわけだ。・・・

これを聞いた川崎正蔵は、「上には上があるものよ。井上侯が自分から取り上げた絵が、今度は宮中に
召し上げられたとは、これで拙者は大満足!」と手を叩いて大喜びした由(^_^;) でも、気の毒に思った
皇后が醍醐寺から献上された伝弘法大師筆不動明王像を井上に下げ渡したという後日談が( ̄◇ ̄;)エッ!?