190523読んだ本&買った本
〈酒が人間を駄目にするのではない。人間は元々駄目だということを教えてくれるものだ〉は立川談志の
名言とされるが出典を知りたい(´・_・`) 酒中別人な人は素面での本性制御能力が凄いんだろうね(゚ロ゚;)
寝不足でも0時前消灯で5時前に目が覚めちゃうけど明るくなると意識の起動スイッチが入るようだ(+_+)
【読んだ本】
角川書店編『日本史探訪 6 源平の争乱』(角川文庫,1984)所蔵本
続けて、1971年度にNHKで放送された、海音寺潮五郎「木曾義仲 頼朝と競争した木曾の自然児」(構成
板谷駿一)を読んだけど、海音寺潮五郎の発言を引く(⌒~⌒)
・・・いったい頼朝が京都を離れて鎌倉に幕府を建てたのを、昔から歴史家たちは、
平家が公卿化して柔弱になったことを鑑[かがみ]として、十分なる計画のもとに
決めたのだと説明したものですが、ほんとうはどうだったのでしょう。/
頼朝という人は、十四歳まで京都で育って、生涯京都文化が好きで、坂東人の野蛮さを
嫌った人であるように、ぼくには思われます。彼が坂東武士中の嫌われ者であった
梶原景時を最も信頼したというのは、景時が坂東武士には珍しく京都文化を身につけて
和歌などもたいへん上手であったからだとぼくは思っています。少なくともこの点が
頼朝の寵愛を得た最も大きな理由であることは確かです。こんな頼朝ですから、
ほんとは京都に出て行きたかったのではないかという気がします。/・・・
そんな「説明」をする「歴史家たち」が当時まだいたんだねぇ( ̄◇ ̄;) 単行本は1965年に刊行された
石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中公文庫,1974)から引いておこう(^^)
・・・今までみてきたような東国の新政権をうちたてる構想は、すでに伊豆挙兵当時から
頼朝の胸中に熟していたものかどうか。そうでないとしたら、その計画はいつから
めばえるようになったのか。これは大きな問題である。/だが伊豆挙兵前後の行動
からみると、頼朝の山木夜襲は追いつめられたものの捨身の一撃ではあっても、
新政権樹立への展望をもっての行動とは思われず、以後、鎌倉に入ってからも、
この地を根拠地とする東国政権への計画が熟しているようにも見えない。富士川の一戦に
平家東征軍が敗北するや、ただちに追尾して平安京・福原をつこうとしたのが、
その何よりの証拠である。/このときまでの頼朝は、かつて一時は鎌倉に館をおき、
南関東一帯の武士団の支持の上に勢力を伸長しながらも、都にのぼり、朝廷を守護する
侍大将として立身出世するみちをえらんだ父義朝の軌跡を追っていた、といっても
大した言いすぎにはなるまい。朝廷を占拠している平家一門を都から追い落とし、
自分でそれに代わろうとする希望、これこそそれまでの頼朝が求めていたものでは
なかったろうか。・・・
・・・幕府の基礎がまさに確立・強化されたそのとき、鎌倉殿頼朝の胸中に娘[大姫]を
[後鳥羽]天皇の后妃とし、みずから外戚の地位を得ようとする希望がめばえ、
その実現に数多くの犠牲[かつて頼朝と連携してた兼実など九条家一門の失脚]を
はらうことも意に介しなかった、というところに、ついに中央貴族の末裔としての
意識をぬけ出すことのできなかった頼朝の限界があらわれているのである。・・・
「外戚の地位を得よう」だなんて平清盛の模倣だし、最後に本性が顕在化しちゃったのかしら(@_@;)
・『日本史探訪 6 源平の争乱』の吉川英治『新・平家物語』誕生経緯の説明はチト端折りすぎ(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-17
【買った本】
久保田淳『富士山の文学』(文春新書,2004)
「もったいない本舗 楽天市場店」で230円の「良い」だけど「非常に良い」でも通用するほど美品(^^)
「170909読んだ本&買った本」で、久保田淳『富士山の文学』(角川ソフィア文庫,2013)との異同は、
〈・・・容量の関係で、四十二章から成る文春新書版のうち、『源氏物語』『東海道中膝栗毛』「永井
荷風」「近代俳句」など六章を省略したが、文春新書のために書いたものの、これもスペースの関係で
収載を見送った「『帰家日記』『庚子道の記』」の一篇を入れ、また文春新書版の刊行後書いた文章の
うち、「宗尊親王の歌」(短歌誌「礫」平成十八年九月号)を加えた。〉と「あとがき」にあることを
記した(^^) 本書の目次を見ると、上記の章の他に「省略」されたのは「二一、富士山大流行の時代①
堯恵・道興」と「二六、水無瀬氏成と契沖 富士百首和歌の風景」の二章(^^) ただ、章を合わせたり、
章のタイトルを変えたりと、角川ソフィア文庫版は文春新書版を結構いじってたんだね(´・_・`)
名言とされるが出典を知りたい(´・_・`) 酒中別人な人は素面での本性制御能力が凄いんだろうね(゚ロ゚;)
寝不足でも0時前消灯で5時前に目が覚めちゃうけど明るくなると意識の起動スイッチが入るようだ(+_+)
【読んだ本】
角川書店編『日本史探訪 6 源平の争乱』(角川文庫,1984)所蔵本
続けて、1971年度にNHKで放送された、海音寺潮五郎「木曾義仲 頼朝と競争した木曾の自然児」(構成
板谷駿一)を読んだけど、海音寺潮五郎の発言を引く(⌒~⌒)
・・・いったい頼朝が京都を離れて鎌倉に幕府を建てたのを、昔から歴史家たちは、
平家が公卿化して柔弱になったことを鑑[かがみ]として、十分なる計画のもとに
決めたのだと説明したものですが、ほんとうはどうだったのでしょう。/
頼朝という人は、十四歳まで京都で育って、生涯京都文化が好きで、坂東人の野蛮さを
嫌った人であるように、ぼくには思われます。彼が坂東武士中の嫌われ者であった
梶原景時を最も信頼したというのは、景時が坂東武士には珍しく京都文化を身につけて
和歌などもたいへん上手であったからだとぼくは思っています。少なくともこの点が
頼朝の寵愛を得た最も大きな理由であることは確かです。こんな頼朝ですから、
ほんとは京都に出て行きたかったのではないかという気がします。/・・・
そんな「説明」をする「歴史家たち」が当時まだいたんだねぇ( ̄◇ ̄;) 単行本は1965年に刊行された
石井進『日本の歴史7 鎌倉幕府』(中公文庫,1974)から引いておこう(^^)
・・・今までみてきたような東国の新政権をうちたてる構想は、すでに伊豆挙兵当時から
頼朝の胸中に熟していたものかどうか。そうでないとしたら、その計画はいつから
めばえるようになったのか。これは大きな問題である。/だが伊豆挙兵前後の行動
からみると、頼朝の山木夜襲は追いつめられたものの捨身の一撃ではあっても、
新政権樹立への展望をもっての行動とは思われず、以後、鎌倉に入ってからも、
この地を根拠地とする東国政権への計画が熟しているようにも見えない。富士川の一戦に
平家東征軍が敗北するや、ただちに追尾して平安京・福原をつこうとしたのが、
その何よりの証拠である。/このときまでの頼朝は、かつて一時は鎌倉に館をおき、
南関東一帯の武士団の支持の上に勢力を伸長しながらも、都にのぼり、朝廷を守護する
侍大将として立身出世するみちをえらんだ父義朝の軌跡を追っていた、といっても
大した言いすぎにはなるまい。朝廷を占拠している平家一門を都から追い落とし、
自分でそれに代わろうとする希望、これこそそれまでの頼朝が求めていたものでは
なかったろうか。・・・
・・・幕府の基礎がまさに確立・強化されたそのとき、鎌倉殿頼朝の胸中に娘[大姫]を
[後鳥羽]天皇の后妃とし、みずから外戚の地位を得ようとする希望がめばえ、
その実現に数多くの犠牲[かつて頼朝と連携してた兼実など九条家一門の失脚]を
はらうことも意に介しなかった、というところに、ついに中央貴族の末裔としての
意識をぬけ出すことのできなかった頼朝の限界があらわれているのである。・・・
「外戚の地位を得よう」だなんて平清盛の模倣だし、最後に本性が顕在化しちゃったのかしら(@_@;)
・『日本史探訪 6 源平の争乱』の吉川英治『新・平家物語』誕生経緯の説明はチト端折りすぎ(@_@;)
⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2019-05-17
【買った本】
久保田淳『富士山の文学』(文春新書,2004)
「もったいない本舗 楽天市場店」で230円の「良い」だけど「非常に良い」でも通用するほど美品(^^)
「170909読んだ本&買った本」で、久保田淳『富士山の文学』(角川ソフィア文庫,2013)との異同は、
〈・・・容量の関係で、四十二章から成る文春新書版のうち、『源氏物語』『東海道中膝栗毛』「永井
荷風」「近代俳句」など六章を省略したが、文春新書のために書いたものの、これもスペースの関係で
収載を見送った「『帰家日記』『庚子道の記』」の一篇を入れ、また文春新書版の刊行後書いた文章の
うち、「宗尊親王の歌」(短歌誌「礫」平成十八年九月号)を加えた。〉と「あとがき」にあることを
記した(^^) 本書の目次を見ると、上記の章の他に「省略」されたのは「二一、富士山大流行の時代①
堯恵・道興」と「二六、水無瀬氏成と契沖 富士百首和歌の風景」の二章(^^) ただ、章を合わせたり、
章のタイトルを変えたりと、角川ソフィア文庫版は文春新書版を結構いじってたんだね(´・_・`)
タグ:歴史
酒で失敗する人っていつでも酒の所為にしますよねぇ(´・_・`)
いやいや、いくら酒飲んでもその人にその素質がないと
無理だから・・・(ー ー;)
「良い」の評価で買った本が「非常に良い」だと
お得感も増して嬉しくなりますね♪( ´▽`)
by ニッキー (2019-05-23 21:44)
ですよねぇ(^_^;) 酒で成功した人は、阪急の今井雄太郎投手しか知りませんが、
酒を飲んで登板したのを契機に才能が開花したみたいですね^_^; 嬉しいですが、
このショップ、「非常に良い」をも「良い」に分類しちゃってるのかも(@_@;)
by middrinn (2019-05-23 22:01)
鎌倉幕府成立は私達の頃の1192年じゃなくて、1185年になって
いるのが今の定説みたいで。1185年だと、頼朝の権力も完全に
西まで及んでいないので(朝廷もそれなりに強かったので)足元が
固まっている鎌倉に開かれるのは自然な成り行きだったのかも。
by tai-yama (2019-05-23 23:41)
お酒のせいにすること、芸能人のニュースで特にみられる気がしますが、結局はお酒を呑んだ自分のせいですよね(^^;
by ナベちはる (2019-05-24 01:04)
たしかに、まだ東国政権でしかないので、京都も掌握してませんね(^^)
tai-yama様、それでも頼朝の内心は京都に行きたかったりして(^_^;)
by middrinn (2019-05-24 07:38)
ナルホド!( ̄◇ ̄;) 言われてみれば、
ナベちはる様のおっしゃるように飲酒
行為をしたことにも本人に責任が^_^;
by middrinn (2019-05-24 10:29)
頼朝は少年期迄京都に居たとは知りませんでした。
そんな話、日本史の教科書には出て来ないし。
駄目になるほど酒を飲んでしまうのは、飲んだ人の責任ですね...って拙者も大きな声では言えませんけど。(^^;;;)
by Rifle (2019-05-24 12:52)
生まれは名古屋も13歳(平治の乱)まで頼朝は京都で生活してたかと^_^;
駄目になるのが分ってて飲む場合、本人の責任はヨリ重いですよね(^_^;)
by middrinn (2019-05-24 13:48)