このブログをお読みの皆様にも何か良いことがありますよーに(^o^)丿ヾ(-_-;)オイオイ...読んでる人いる?
「お肉もPON!」で「ジューシーな予感」と出たから、拙宅に「厳選お肉詰め合わせ」が届くのかと
期待したら、2等賞の1000p(^_^;) 付与は来月なので、高くなりそうな今月の電気代と相殺できず(T_T)

【読んだ本】

戸板康二『新々ちょっといい話』(文春文庫,1987)所蔵本

    大正天皇が皇太子時代に、山縣有朋の古稀庵を訪ねた時の写真が二枚残っていて、
    山縣は、一枚は和服に袴を着け、一枚は蓑と笠を着けている。山縣の没後、
    その伝記を作る時に、多くの人は巻頭にこの写真を出したがった。大礼服のよりも
    人間味があって、含雪と号した老翁のいい面が出ているからだ。/しかし、結局、
    その写真は伝記にのっていない。大正十一年という時代、天皇がかつて臣下の家を
    訪れた写真などは、公開禁止だったのである。

原武史『大正天皇』(朝日選書,2000)175~176頁に載る次のエピソードが大好きなんだよね(〃'∇'〃)

    十九日は乃木希典の説明を聞きながら演習を見学、二十日も未明から武庫川付近で
    演習を見ていたが、六時半に休戦になると、皇太子は次の演習地である武庫郡甲東村
    (現・西宮市)の尋常高等小学校に行く途中、岡田山にあった学習院時代の旧友、
    桜井忠胤(一八八一~一九三一)の邸宅を突然訪れた。思わぬ出来事に、
    「今回は恐れ多き光栄を賜はり誠に恐縮に存じ奉つる」と言うのがやっとの桜井に対して、
    皇太子は「今度は軍人となつて来たのだから恐縮だの恐れ多いだのは止めにして呉れ、
    さう慇懃では困る」と言い、小学校までの距離を桜井に聞いた上、「夫れでは馬で行く」
    と言い残していったん立ち去った。/ところが、八時前になって皇太子は
    「桜井、演習は九時からだから其の間又遊びに来た」と言って再び現れた。
    そして邸内を勝手に歩きながら、「桜井、今日は恐惶だなどは一切よせよ、
    お前は学校に居る時、俺と鬼ごつこの相手でないか、今は此処に住んで何をしてゐるか、
    大層色が黒くなったではないか、子供は幾人あるか」などと語ったあげく、
    「どうも騒がしたなア桜井、又来るよ」と言ってようやく桜井邸を後にした。
    このとき、時計の針はすでに九時を回ろうとしていたのである。完全な遅刻であった
    (以上、引用は『大阪朝日新聞』十一月二十一日による)。

この後、乃木希典に怒られたんじゃないかとチト心配になるし、流石に古稀庵では庵「内を勝手に歩き」
廻らなかっただろうね(^_^;) とまれ、この記事、即位後は、どーゆー扱いになったのかしら(@_@;)

数日前から積雪予報も雨ポツポツだけの大ハズレと思いきや夕方から雪が降り出して庭が雪景色に(゚ロ゚;)