1枚60円(但し10枚単位)@金券ショップで先月購入した「年賀はがき 絵入り[寄附金付]全国版」、
1枚だけ余りそうなんだけど、どーすべきかな(@_@;) 5円で62円切手への交換が無難かしら(´・_・`)
懸賞の応募に使うという選択肢もあるけど、悪い印象を与えそう(-ω-、) ブログ訪問して「ことよろ」
コメント書き込む際に相手の事情を考慮し「あけおめ」的文言を使わなくても不快がられたし(-ω-、)
昨日の枕に記した「訪問者数 85,000」は、大昔パンチ佐藤が本拠地球場でのヒーローインタヴューで
「オリックス・ブルーウェーブ、並びにこの佐藤和弘のために、今日は8万5000人のファンの皆様」云々
と球場の収容能力を大幅超過した数を口にして笑いをとった故事(ニコ動で視聴可能)を本歌取り(!)
した冗談ゆえ若い人は真に受けないように(^_^;) 第3ブログ「ワタシの靴を舐めて謝りなさいよ!」、
昨日はアクセス数ゼロなのに(全体では「圏外」に)、テーマ別では785位に上昇という謎の展開(゚ロ゚;)
ウイルス対策ソフト更新で11880円かかったけど、はたしてWin7が2022年4月までもつのかしら(@_@;)

【読んだ本】

藤岡忠美(校注)『新日本古典文学大系 29 袋草紙』(岩波書店,1995)所蔵本

勅撰集である『金葉和歌集』に入ってる秦兼方の歌(歌番号524)を、川村晃生&柏木由夫&工藤重矩
(校注)『新日本古典文学大系9 金葉和歌集 詞花和歌集』(岩波書店,1989)から、川村&柏木による
同歌の大意とともに引く(^^)

    去年[こぞ]見しに色もかはらず咲きにけり花こそ物はおもはざりけれ

      昨年見たのと、色も変わらないで咲いたことよ、花というものは
      悲しみなどというものを思わないのだなあ。

せっかく花が今年も咲いてくれたのに、まるでそのことを非難するかのような歌みたいじゃん(´ヘ`;)
でも、この歌には実は次のような詞書が付されているんだよね( ̄◇ ̄;)

    後三条院かくれおはしまして、又の年の春さかりなりける花を見てよめる

後三条院の崩御を悲しんで詠んだ歌だったんだね(;_;) 川村&柏木も、脚注で次のように指摘(-ω-、)

    昨年と変わらずに咲いた満開の花によって、作者はさらに悲しみにくれる。

正宗敦夫『金葉和歌集講義』(自治日報社,1968)も、同歌について、次のように評していたよ(-ω-、)

    一首の意は、後三条院かくれまして人皆憂色あるに、花は去年の色に変らず咲いた。
    して見ると、花はこの悲しみを覚えぬと見えると云つて、無心なる花をかりて
    我が心の悲を間接に述べたので、げにすぐれたる歌である。

でも、どうして花の咲き方に結び付けるのかしら、と不思議に思う人いるかも(@_@;) 川村&柏木も
正宗も、作者が同歌を詠んだ際に念頭に置いたであろう次の歌を「参考歌」に挙げてたよv( ̄∇ ̄)ニヤッ
   
    深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け

これは藤原基経の死を悼んで上野岑雄が詠んだ歌で、勅撰集である『古今和歌集』に入ってる(⌒~⌒)
何度も書いたことだけど(例えば⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-12-15 )、
式子内親王が亡くなって梅が咲くのを見て源家長が「今年ばかりは」と独り言を呟いた気持ちだよ(;_;)

テクスト読解と同様、歌の理解にはコンテクスト(文脈や背景)を知ることが不可欠で、詞書の確認や
先行歌の知識も必要だから大変だけど、解って来ると、メチャ愉しい(〃'∇'〃) 枕の話と繋がった^_^;

さて、ここまで言及してなかった表題に掲げた藤原清輔の歌学書『袋草紙』に次の件がヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    撰集に秀歌の漏るるは常の事なり。・・・/後拾遺集に究竟[くつきゃう]の歌三首漏る。

〈「究竟」は非常に優れたの意。〉と脚注にあり、『後拾遺和歌集』から漏れた秀歌「三首」の一つに
秦兼方の上記歌を挙げてた( ̄◇ ̄;) 『後拾遺和歌集』は『金葉和歌集』の一つ前の勅撰集で「小鰺集」
https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-06-01 )と呼ばれるほど不評だった・・・

明日はブックオフのセール最終日か(@_@;) 鳥さんたちが既に食い散らかしちゃっただろうな(-ω-、)