「一年の計は元旦にあり」に倣えば、一日の計は起床にあり、かと(⌒~⌒) 午前中は今日発売の漫画を
読んで午後は街へ出て千円分の割引券で古本を買う予定だった(-ω-、) ところが、昨日寝坊した所為で
昨日片付ける予定の雑用が今日に(ノ_-;)ハア… やってらんねー(ノ`m´)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリン ヤメテー!!

【読んだ本】

上坂信男&神作光一&湯本なぎさ&鈴木美弥全訳注『枕草子(上)』(講談社学術文庫,1999)所蔵本

宣耀殿の女御こと芳子タン、古今和歌集を丸々暗記してるというので村上天皇が自ら試験したところ、
全く間違えなかったため、村上天皇の御寵愛は、ますます深まるばかりヤッタネ!!(v゚ー゚)ハ(゚▽゚v)ィェーィ♪
この逸話、『大鏡』だけでなく『枕草子』にも出ているというので、本書を披くと、一条天皇の中宮・
定子が清少納言らに対して、この逸話を語っていたよ(^^) ソレによると、父の左大臣藤原師尹は娘の
芳子タンを次のように教育した由、本書の現代語訳を引く(⌒~⌒)

    その女御がまだ姫君と呼ばれていらした時、父大臣がお教えなさったことは、
    『第一には習字をなさい。つぎには琴[きん]の御琴[こと]を、他の人より
    特に上手に弾くようにとお心掛けなさい。その上で、『古今集』の歌二十巻を
    全部暗誦することを御学問になさい』と申し上げられたと、・・・

『枕草子』を読むためにと、石田穣二訳注『新版 枕草子 付 現代語訳』(角川文庫ソフィア,1979-80)
上下巻の他に、本書全三巻(中巻は2001年、下巻は2003年)を買った理由は、「語釈」「現代語訳」に
続く「余説」の部分が読み応えありそうだから(⌒~⌒) この段の「余説」の一部を次に引く(^_^;)

    こうみてくると、第一、第二の「御手」や「琴[きん]の御琴」は実用をかねての趣味
    である。/ところで、第三の『古今集』全巻を暗誦することには、どういう意義が
    考えられているのだろう。消息にも遊宴の際にも必ずといってよいほどに和歌が詠出
    された時代のことであるから、作歌の規範を修得するためのものとまず考えられる。
    しかし、それがすべてだったろうか。そうした作歌技術的なことも無視できないが、
    今一面の、そしてさらに重要な、本質的な「学問」の意味があったのではないか、
    と思われる。―――それこそ現代的意味での教養の名に値するものであったと思う。/
    では、『古今集』の季歌・賀歌・恋歌・雑歌等々の全歌を誦[そら]んじることが、
    どのようにして「教養」となりうるのか。およそ、教養とは知性の開発にほかならない。
    たとえば、ここに桜を詠んだ歌が数首集められていて、咲く花を待つ歌、盛りを讃える歌、
    散るのを惜しむ歌など、作者を異にするにともなって異なる感情が詠出されている。
    こうした時、表現技法ではなく、人それぞれの心のありようを理解する。他人の経験と
    感情を知り、人の心を推量するときの規矩にするという積極的な効用がもたらされる。
    和歌学習を掲げた師尹の意図もここにあったのではないか。

この後は「もっとも、それは独り和歌に限らないことで、・・・」と続き、「物語」にも言えるとして、
筆者の上坂信男の専門と思しき『源氏物語』の話になっていくんだけど、御説御尤も、ではあるm(__)m
でもさ、この「余説」(他書の「解説」に相当)、『枕草子』の当該段を理解する上で不可欠な事実に
全く言及してないヒィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 渡辺実『大鏡の人びと~行動する一族』(中公新書,1987)を引く(^^)

    安子[師輔の娘で村上帝の中宮]や芳子が生きた村上帝の時代は、醍醐帝の治世と並べて、
    延喜・天暦の治と呼ばれる文運隆盛の時代であった。醍醐帝の『古今和歌集』に続く勅撰の
    『後撰和歌集』の編纂もこの御代だし、醍醐帝以来の歌合せもこの時期に最も充実した
    高まりを示し、清少納言や紫式部からは、理想の治世の一つと振り返られていた時代で
    あった。だからこそ『枕草子』の中宮定子も、村上帝と芳子との間の『古今集』争いを、
    帝と妃との理想的なあり方、と美化しつつ清少納言たちに語って聞かせたのであろうし、
    清少納言もまた同じ思いで中宮の話を書きとどめたのに違いないのである。    

村上天皇の時代は後撰集が編纂され歌合も盛んだったという事実に触れろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

そんなこんなで一年に一回だけの日が暮れて行く(´・_・`) 寝床で届いた漫画を読んじゃおっと(〃'∇'〃)