女心は女にしか解らない、ということなのか(@_@;) だとすると、女性の伝記は女性の執筆者にしか
書けなくなっちゃうね(^_^;) 他方で、何十年と一緒に生活してる男女でも、つうかあの関係もあれば、
未だに相手が何を考えているのか全く解らないとボヤいている人もいるわけだからねぇ(⌒~⌒)ニヤニヤ

【読んだ本】

今井源衛(日本歴史学会編集)『紫式部』(吉川弘文館人物叢書,1966→1985新装版)

本書は紫式部の伝記の代表格で、次に引く本書76~77頁の一節は、紫式部の家集である紫式部集に
載っている紫式部作の歌2首とその詞書(2首目の詞書は略され、その内容は本文に活かされている)
に拠って、紫式部の越前での生活と心情を描いたものだが、山本利達(校注)『新潮日本古典集成
紫式部日記 紫式部集』(新潮社,1980)124~125頁による歌の現代語訳を[ ]内に補った(´・_・`)

    国府に入ったのは初冬のころであった。北国の冬の訪れは早い。/

       暦に初雪降ると書きたる日、目に近き日野の嶽といふ山の雪
       いと深う見やらるれば

     ここにかく日野の杉むら埋む雪 小塩の松のけふやまがへる

     [こちらでは、日野岳に群立つ杉をこんなに埋める雪が降っているが、
      都でも今日は小塩山の松に雪が入り乱れて降っているのだろうか。]

    国府の官舎に落着き、旅装を解いて、東南方の日野山の真白な雪を眺めやると、
    はじめて「ここにこうして、これから毎日過ごすのか」と感慨にひたった。
    年の暮には北国らしい大雪が降り、人々は屋根や道路の雪かきをして
    あちらこちらに雪の山ができた。女房たちは珍しがって式部にも見物を
    すすめるのだったが、彼女は、/

     古里に帰る山路のそれならば 心やゆくと雪も見てまし
  
     [故郷の都へ帰るという名のあの鹿蒜[かえる]山の雪の山ならば、
      気が晴れるかと出かけて行って見もしましょうが。]

    と、心に歌う。若女房たちのようにはそんな風景には心もはずまず、灰色の空を
    眺めては都が恋しくなるばかり、語り合える友もなく、北国の印象は
    よいものではなかったらしい。

この2首で紫式部が都を恋しがってるのはたしかだが、「語り合える友もなく」だなんてアホか(-"-)

この2首を紫式部集から採りながら、紫式部集の、この2首の間に載せられた紫式部以外の人物による
1首が目に入らないのか(-"-) その歌を山本・前掲書124頁から現代語訳も含めて引くC= (-。- ) フゥー

      返し

    小塩山 松の上葉[うはば]に 今日やさは 峯のうす雪 花と見ゆらむ

     小塩山の松の上葉に、今日はおっしゃるように初雪が降って、
     峯の薄雪は花の咲いたように見えることでしょう。

紫式部が「ここにかく・・・」と詠んだ歌に対し、誰かが歌で「返し」たわけで、この返歌については
清水好子『紫式部』(岩波新書,1973)が丁寧に読み解いてくれているので、次に紹介したい(⌒~⌒)

    「返し」をしたのは誰か。歌の姿や述べるところが優艶であるので女とみたい。
    すると式部の侍女ということになろうか。主人の心を受けて、「小塩山」、
    「松」、「今日」と詠み込んで、返歌の形を整え、式部の都恋しの心を慮って、
    小塩山では松の上葉の薄雪が花と見紛うばかりでございましょうと、うとましいほど
    すっぽり埋ったこの地の雪景色にたいして、都のそれを美しく描き出して見せている。
    それに松の雪を花と見立てることは、古今六帖第一、雪の項に/

      松の上にかかれる雪のこれをこそ冬の花とはいふべかりけれ

      年経[ふ]れど色も変らぬ松が枝にかかれる雪を花かとぞ見る

    と挙げてあって、侍女の自分勝手な見立てではない。式部にとって、このように
    自分と共通の教養を持った相手と問答することが、国府の館の生活のなかでの
    唯一の心やりであったらしい。

紫式部の「ここにかく・・・」の歌に出てくる「小塩の松」に関する肝心な点の解説が山本・前掲書
に無いことは昨日指摘したが、この返歌が昔の秀歌を踏まえていることも同書には出てない(´ヘ`;)

さて、この返歌を読み解けば、「式部にとって、このように自分と共通の教養を持った相手と問答する
ことが、国府の館の生活のなかでの唯一の心やりであったらしい。」と、紫式部の越前での心情が推察
できるわけで、本書の「語り合える友もなく」というのは見当違いだろヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!

ちなみに、小説ではあるが、杉本苑子『散華 紫式部の生涯』(中公文庫,1994)下巻は、この返歌の
作者を侍女ではない女性とした上で、「作詩も作歌もここ当分、お預けの状態だから、同じくらいの
教養を持ち、似たり寄ったりの水準で、歌を詠みかけたり返したりし合える相手が身近にいてくれる
のは、小市[=紫式部]にすれば幸いであった。」とし、やはり「語り合える友」がいたとする(^^)

本書が、紫式部集に載ってる歌の詞書を間違って解釈していることは一週間ほど前にも指摘したけど、
このように紫式部集も読みこなせずに紫式部の伝記を書くなんてお笑いよねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)  
  
       ⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-08-22

7時前には9時から一日雨と予報も夕方ポツポツ降っただけでハズれた頃には別の気象予報士に交代(-"-)