ネット上の本人認証で使われてる「秘密の質問」が「初恋は誰?」「過去にお付き合いした人数は?」
とかだったら、パートナーに見られた時に揉めちゃいそう(⌒~⌒)ニヤニヤ 「初めてみた映画は?」が
まだ思い出せね(ノ`m´)ノ ~┻┻ (/o\) ミドリンヤメテー! 台風は去った!さらば、涼しき日々よ(T_T)/~~

【読んだ本】

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)所蔵本

「学者・教育家」の2人目は、「良妻賢母教育の女傑」という副題で、下田歌子だとさ(⌒~⌒)ニタニタ
教科書的には、宮中の女官や愛国婦人会の会長などを務め、実践女子学園の基礎を築いた女傑(^_^;)

    父親は勤皇派で、幕末には藩主より再三にわたって蟄居を命じられた。歌子は
    五、六歳のとき、急に玩具の貨幣に興味をもちはじめ、一分銀や二分金を
    たくさん貯めこんでは、そっと出して眺めていることがあったが、おどろいた
    祖母がわけを問いつめると、「このお金を役人にあげて、お父さまの罪を
    許していただくのだ」と答えた。これは家に来た客が「命でも何でも金しだいだ」
    といったのを、小耳にはさんでいたのだった。

歌子タンは親孝行で健気だなぁ~と感動すべき逸話なのかしら、コレは(@_@;) 片鱗?将来を暗示?

松本清張『長篇ミステリー傑作選 棲息分布』(文春文庫,2009)下巻の佐野眞一「解説」を引く^_^;

    [松本清張の遺作]「神々の乱心」のモチーフとなっているのは、宮中への
    新興宗教の浸透をめぐって昭和初期の宮中で展開された知られざる暗闘劇である。
    私の見るところ、それは貞明皇太后と昭和天皇の確執に想を得ている。/・・・/
    そもそも貞明皇后は皇太子[=昭和天皇]のヨーロッパ外遊(大正十年三月~
    同年九月)に反対だった。/貞明皇后に皇太子外遊反対の進言をしたのは、
    大日本精神団という新興宗教を興して政治家から軍人、皇室まで勢力を伸ばし、
    〝日本のラスプーチン〟と呼ばれた飯野吉三郎だった。/飯野が皇室にまで
    勢力を伸ばせた背景には、一説には飯野の愛人といわれる元女官の下田歌子の
    尽力があったという。下田歌子は、その美貌と教養の高さで政府高官たちに
    近づいて浮き名を流し、妖婦とまでいわれた女性である。

松本清張、飯野吉三郎、下田歌子と言えば、『小説東京帝国大学』なんだけど(全集版所蔵・既読)、
谷沢永一『紙つぶて 自作自注最終版』(文藝春秋,2005)から引いちゃいましょうかね(⌒~⌒)ニコニコ

    下田歌子という妖婦がいた。藩閥政府の顕官たちを悉くモノにしたという
    美貌の辣腕である。社会主義者のグループが醜聞を嗅ぎつけた。・・・
    明治四十年一月十五日に再刊された『平民新聞』の二月二十四日から、
    「妖婦下田歌子」という連載を始めた。・・・連載は調子よく進行し、
    歌子の過去が次々と暴かれてゆく。/そのころ穏田[おんでん]の行者
    と言われていた飯野吉三郎は、東京地裁検事正奥宮正治および警保局長
    有松英義と折衝していた。下田歌子から哀訴されて新聞連載を押しとどめ、
    彼女の考えている復讐を実行に移す為である。/社会主義者の奥宮健之は
    幸徳秋水にも会い、飯野には主義者を宥める資金を求めた。そのとき奥宮が
    飯野に幸徳らが爆裂弾の製造を考えているなどと言ったかどうかわからない。
    とにかく原因は下田歌子であり、また火を点けたのは飯野である。ここに
    大逆事件が作られ、明治四十四年一月二十四日午前八時、被告は絞首刑に
    消えた(菅野[スガ]は翌日)。松本清張の『小説東京帝国大学』(昭和
    44年)の明細な報告である。女の恨みはコワイ。

整形手術を受けたのか小顔美形化してた猫のマイケル、また元の大きな顔に戻ってたヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ