楽天市場のセール中に楽天ブックスも1時間単位で「2倍」「3倍」のタイムセールをやってるけど、実は
「3倍以上」と表示される時もあって、モノによっては5倍が付けられてるのもあるんだよね(⌒~⌒)ニンマリ
明日の夜からの楽天市場お買い物マラソンには、みどりんは参加しないけど、皆さん、頑張ってね(^o^)丿

【買った本&読んだ本】

宮城谷昌光『劉邦(三)』(文春文庫,2018)
宮城谷昌光『劉邦(四)』(文春文庫,2018)

楽天ブックスで5倍で予約(^^)v だけど、ポイントが53円分しかなくて1割引きにならず、1480円で(+_+)
この作品の評価や本書を古本で買う際の注意その他は、本書の(一)(二)を買った際に詳述したから
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2018-07-10 )、何も言うことありません^_^;

「5ちゃんねる」(旧2ちゃんねる)の「【湖底の城】宮城谷昌光を語ろう【孔丘】九巻」というスレの

    807名無しさん@お腹いっぱい。2018/07/24(火) 10:09:08.33ID:d/TXiG8U0

     駆け足終盤と微妙なラストが宮城谷作品の特徴

という書き込みは蓋し名言で、本作品にも当てはまることは、過去スレで本作品の新聞連載終了直後に
次々と書き込まれた感想を見ても分かる(^_^;) ただ、新品で購入し、蔵書中の宮城谷昌光の古代中国
関係の文庫本・新書はコレで87冊になったことからも判るように、読むに価しないわけではない(^_^;)

本書(四)の巻末に「二〇一五年三月吉日」付の「連載を終えて」という一文も収録されていたよ(@_@)

    すじの通らない人は好きではなく、ましてそういう人を小説の中心にすることは
    できない。/私にとって劉邦はすじの通らない人であった。劉邦にくらべて
    項羽の生き方には一貫したものがあり、私自身の好感を添わせやすかった。
    こういう感情が残っているころに、毎日新聞に『香乱記』を書いた。楚漢戦争のさなかに、
    不屈の精神をつらぬいた田横は、後世の人々とくに弱い立場の人に勇気を与えた。
    それも承知で、私は田横の生きざまを劉邦批判としたことはたしかである。

実際、宮城谷昌光作品の愛読者は、宮城谷昌光が『香乱記』を始めとする今までの作品で劉邦を良くは
描いてないことを知っていたから、毎日新聞で「劉邦」連載開始と聞いた際には、複雑な気持ちだった
はず(@_@;) この「連載を終えて」は、その辺を意識しての自己弁護・自己批判のようで、「・・・
劉邦にたいする見方が変わった。」所以を披露してて興味深い(@_@;) その中に次の一文もある(@_@)

    私は劉邦のすじの通らなさを、個人の情義にあてはめすぎたことに気づき、
    はじめて劉邦を書いてみたいとおもうよいになった。

だったら、『香乱記』を初めとする諸作品を絶版にするのが「すじ」ではないかしら、なんちって^_^;

戦後まもなくのこと、画家・医師の宮田重雄が新聞に投書し、戦争中は戦争画を描いてた藤田嗣治らが、
今度はGHQに協力している節操の無さを批判して、謹慎すべきだ、と批判した話は知っていた(^_^;)
平山周吉「戦争画リターンズ」の〈第2回 松本竣介の「貴方達は、続けて戦争画を描かれたらいい」〉
をネットで読んだけど、宮田重雄も実は脛に傷を持つ身だったこと、藤田嗣治らは戦争画を描き続ける
べきだという投書が当時なされた事実などが紹介されてて、びっくりした( ̄◇ ̄;) たしかに、芸術的
良心に基づいて戦争画も描いたと言うなら、戦後になっても戦争画を描き続けるのが「すじ」かと^_^;

宮田重雄からの批判に対し、藤田嗣治は戦争画を描いたのは国民の義務を果たしただけと反論してて、
藤田嗣治が戦争中に日本軍から依頼されて戦争画を描いてたのなら、まだ「すじ」は通っているけど、
芸術新潮2018年8月号の特集「藤田嗣治と5人の妻たち」は藤田嗣治の有名な戦争画「アッツ島玉砕」が、

    1943年、アッツ島の日本兵がほぼ全滅した死闘を描いています。
    美術界にとって初めての「玉砕図」は藤田によって描かれましたが、
    それは誰に依頼されたわけでもなく、本人が自発的に制作したものです
    (後に軍に献納)。

軍依頼の戦争画以外にも、「依頼されたわけでもなく、本人が自発的に制作」してたのなら、戦後に
批判されるのも仕方がないかと^_^; ただ、上記の経緯は、司修『戦争と美術』(岩波新書,1992)には
出てなかったかと(@_@) ちなみに、藤田嗣治の戦争責任、その戦争画の芸術性の評価には関心がなく、
その後、フランス国籍を取得して、お墓のことを考えてカトリックになった点の方が嫌な感じ(-ω-、)
前掲誌から、藤田嗣治の4番目の妻マドレーヌ・ルクーについての記述を再録するよ(´;ω;`)ウッ…

    いっぽう、長期にわたる旅の果て、言葉も習慣もわからない日本に住むことになった
    マドレーヌは、身も心もすり減らすばかりでした。・・・祖国の家族や知己から切り
    離され、仕事も捨ててしまった彼女が、孤独を深めたのは当然のことでしょう。・・・
    1935年、とうとうフランスに帰国してしまいました。ところが、4年間も離れていた
    祖国にも、もう彼女の居場所はなかった。しかも、その留守中に藤田は[堀内]君代
    [=5番目の妻]と出会ってしまう。その事実を知らされたマドレーヌは日本に戻って
    くるのですが、お酒や薬物に溺れ、わずか2ヵ月後に、半ば自殺のようなかたちで
    亡くなってしまうのです。/マドレーヌは、喩えるなら藤田が無理やり引き抜いて
    枯らしてしまった花のような存在でした。祖国から遠く離れた極東の地で、彼女は
    今も独り眠っています。

「すじ」を通してたら、機械化人間によるnice!バラマキによって、明日にもランキング外へ(ノ_-;)ハア…

[追記180804]

本文で「ただ、上記の経緯は、司修『戦争と美術』(岩波新書,1992)には出てなかったかと(@_@) 」
としましたが、「大本営報道部の企画なのか、藤田が勝手に描き上げたのかは分かっていませんが、
・・・」という件は同書にありました(^_^;) その前後の文章はコメント欄の長文の返信コメに(^o^)丿