気象予報士の「菊池真以」を「菊池真似」と誤読し、親がマネの絵画が好き、あるいは娘がお金持ちに
なれるようにと命名したのかしらなどとアホな想像をしてた(ノ_-;)ハア… 速いのが取り得、岡本信人くん
という有名なフレーズに倣えば、遅いのが取り得か、駿河屋は(´ヘ`;) Yahoo!で「駿河屋」と検索
しようとすると「遅い」という入力補助がヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 古本2冊を注文したのが22日17時30分なのに、
検品にメチャ時間がかかり、やっと今夜発送される由(-ω-、) 鳴くまで待てよ、という風土か(´・_・`)

【読んだ本】

紀田順一郎『にっぽん快人物烈伝』(旺文社文庫,1985)所蔵本

本書も「作家・評論家・ジャーナリスト」「思想家・社会運動家・宗教家」に続いて「画家」に入り、
その1人目は富岡鉄斎で、副題は「近代水墨画の弧峰」(^^) 紹介されてる逸話は「きわめて居ずまいの
正しい人」なのに服装には無頓着だとか、画室は「書物とガラクタの山」だとか、あるいは難しい性格、
自信家などといったものばかりで、どれもこれも面白いんだけど、次のエピソードに本質的な感じ^_^;

    彼の画室には「不読五千巻書者。無得入此室」(五千巻の書を読まずして、この室に
    入るべからず)という額がかかっていた。これでは並みの人間は、座敷に通してもらう
    どころか玄関にさえあげてもらえない。ある男が鉄斎の家を訪問し、「私はまだ五千巻
    の本を読んだことがないのですが」と、入るのをためらったところ、鉄斎は、/「だが、
    あんたはわしの読まん洋書を読んでなさる。お入りください」といった。守備外の領域
    には敬意を表したのである。

芸術新潮2002年9月号が「よく習い、能く描き、良く老いた 富岡鉄斎に学ぼう」という特集を組んでて、
「山水画談 名画天池石壁の図」(「絵画清談」大正8年8月号所収)から富岡鉄斎の言葉を引いてた(^^)

    俺[わし]は知つての通り元が儒生で、画をかくといふのが変体ぢや、それで師匠も
    なければ、弟子も取らぬ、唯もう書物の中から出して画を画くばかりで、それで書物
    といふ書物、画論といふ画論は大概買つて読んで居る。・・・・・・南画の根本は
    学問にあるのぢや、そして人格を研かなけりや画いた絵は三文の価値[ねうち]も
    ない・・・・・・。新しい画家[ゑかき]に言ふて聞かしたい言葉は、「万巻の書を
    読み、万里の道を徂[ゆ]き、以て画祖をなす」唯これだけぢや。

同誌同特集で富岡鉄斎の作品を観る限り、その画の主題から、富岡鉄斎は恐るべき教養の持ち主であり、
その読書量が凄いことは、小生にも判ったよ( ̄◇ ̄;) その点でも、小生の好みとなるはずなんだけど、
いかんせん、その画風が・・・(ノ_-;)ハア… 杉本苑子は長篇小説より短篇小説の名手と小生は考えてて、
特に「嫦娥」という短篇小説はマジ傑作で、自信を持って他人に推奨できる名作なんだけど、同作品を
絶賛した昔の記事(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2016-01-12 )においても、

  「月に向かって立ち昇る細い、ひと筋の煙」を雲に見立て、嫦娥が月世界へ昇って行く幻想的
  なシーンが武太夫を通して読み手の目にも浮かぶはず(^^) 月岡芳年(大蘇芳年)「月百姿」の
  「嫦娥奔月」のイメージが少し近いかな(^^) 決して富岡鉄斎「嫦娥奔月図」じゃないわな^_^;

と記したように、富岡鉄斎の画はねぇ・・・(´ヘ`;) やっぱ月岡芳年の「月百姿」が好き(〃'∇'〃)
岩切友里子(編著)大蘇芳年(画)『月百姿』(東京堂出版,2010)については下記の通り(⌒~⌒)ニヤニヤ

   ⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.so-net.ne.jp/2015-04-25-1

今日も曇りがちで気温はさほど上がらず(^^) 畳に枕だけで昼寝しようとしたら尾てい骨が痛いぞ(+_+)