芥川賞候補作をHP上で無料公開しちゃったら、受賞作を掲載して文藝春秋誌の売上を伸ばす文藝春秋社の
販売戦略を損ねることになるから、これで受賞は無くなったと見るべきかな(@_@;) 庭でホタルブクロ
発見も強風で揺れちゃって撮れないよ(´ヘ`;) 蛸壺みたいに虫さんとか入っちゃうのかしら(〃'∇'〃)

【読んだ本】

深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 春夏編』(三弥井古典文庫,2015)所蔵本

坪内稔典が毎日新聞朝刊「季語刻々」で芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」を次の如く解説(´ヘ`;)

    「海の底の蛸壺の中にはタコが寝ています。夢で夏の月を見たりしながら。つまり、
    芭蕉は、蛸壺の中で眠るタコの気分になっているのです。タコ気分の芭蕉って、
    おかしくて、楽しいですね」。以上は小著「松尾芭蕉 俳句の世界をひらく」
    (あかね書房)の一節。この本、小学生向けの伝記だが、タコ気分の芭蕉を
    描いたつもり。

この句の前書は「須磨の浦伝ひしてあかしに泊る、其此[そのころ]卯月の中半[なかば]にや侍らん」
となっていたことが本書に出てて、「須磨」や「あかし」(明石)という地名は、歌枕として有名(^^)

井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫,1977)の「十一、『笈の小文』の旅へ」も指摘してる(⌒~⌒)

    芭蕉たちはそれから当麻寺を参詣し、大坂へ出て、須磨・明石の名所見物をします。
    須磨・明石は『源氏物語』にも舞台となっていますし、『平家物語』の舞台の一つ
    でもあります。

「須磨」「明石」とあれば、源氏物語や平家物語を条件反射的に連想しちゃうのが常識だよね(〃'∇'〃)

んで、芭蕉の「蛸壺やはかなき夢を夏の月」という句を、本書は次のように解説している(⌒~⌒)ニコニコ

    前書から想起される古典は、『源氏物語』であろう。光源氏のように流されて明石に
    たどりついた人物の、独り寝の夜の寂しさ、うら悲しさがこの句の主題である。/
    芭蕉は、明石に流浪する光源氏の心情を追体験しようとし、明石に泊まって、
    「はかなき夢」を見た。芭蕉の当時にも、明石では「蛸壺」が名物だった。
    夜が明ければ壺を引き上げられて獲られてしまう蛸どもの、壺の内にあって
    見ている「夢」も、「はかなき」ものだ。そして、「夏の月」があっけなく
    沈むさまが、「はかなき」ことにおいて、人や蛸の「夢」と呼応していると
    言うのである。/だが、この「蛸壺」の語にはそれ以上に俳諧性の濃い仕掛けが
    施されている。それは、本家の『源氏物語』には桐壷とか藤壺とか呼ばれる美女が
    登場するけれど、俳諧をこととする私[=芭蕉]には、「蛸壺」あたりがお似合いだ、
    という発想である。芭蕉は、さまよえる貴公子光源氏に我が身を重ねながらも、
    苦笑混じりに俳諧的謙遜を忘れないのである。/なお、のちに、『笈の小文』や
    『猿蓑』においては、7の句[←この句のこと]の前書は「明石夜泊」に改められた。
    これだとおそらく句のテーマは『平家物語』に描かれた平家滅亡の歴史懐古という
    ことになる。

メチャ面白いよね(〃'∇'〃) ちゃーんと前書も踏まえて、そこから連想される古典作品を知ってれば、
こーゆー解釈が出来るわけだ(⌒~⌒) 「芭蕉は、さまよえる貴公子光源氏に我が身を重ね」てるのに、
「芭蕉は、蛸壺の中で眠るタコの気分になっている」とした、この「坪内稔典」とは何者かしら(@_@)

坪内稔典は、実は2回このブログにも登場していて、その芸術新潮2006年6月号所収の雲英末雄との対談
「俳画今昔」のリード部分では編集部から次のように紹介されていたので、ソレを読んで得心(@_@;)

    ・・・当代を代表する俳人にして正岡子規の研究者でもある坪内稔典氏である。

現代俳句は古典とは無関係の世界だし、正岡子規は和歌の古典である古今和歌集を否定した人物だから、
坪内稔典は二重に古典とは無縁なわけで、光源氏もタコにされちゃうわけよねオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

    https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19
    https://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-10-25

前書を無視して句だけで解釈するのは、枕だけ読まれて本文は読まれないブログに似てる(ノ_-;)トホホ…