いくら考えても、なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんも思い付かん(ノ_-;)ハア…

【読んだ本】

久保田淳&平田喜信(校注)『新 日本古典文学大系8 後拾遺和歌集』(岩波書店,1994)所蔵本

勅撰集に歌が入るということが大変な名誉だった時代、津守国基は撰者の藤原通俊に小鰺の樽を贈って
後拾遺和歌集に自分の歌を多く入れてもらったために、後拾遺集は「小鰺集」と呼ばれていた由(^_^;)

津守国基は住吉神主なんだけど、藤岡忠美(校注)『新 日本古典文学大系 29 袋草紙』(岩波書店,
1995)の脚注には「住吉の海産物の小鰺などを贈り届けたか」とあるから、地元の名産かしらね(^_^;)

後拾遺集に入った津守国基の歌3首を、藤本一恵(全訳注)『後拾遺和歌集』(講談社学術文庫,1983)
全四巻に基づいて、下記のように、素人なりにそれぞれ鑑賞してみたことがある(^_^;)

     ⇒ http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-06-08
     ⇒ http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-06-19

その中の1首(歌番号71)を、藤本・前掲書の第一巻に出てる〔歌意〕とともに引いてみるよん(^o^)丿

    うすずみに かくたまづさと 見ゆるかな かすみの空に 帰るかりがね

      空に薄墨色で書いた手紙のように見えることだ。春霞のなかに
      帰ってゆく雁[かりがね]は。

では、先日購入したばかりの本書から、当該歌と脚注に出てる「大意」も引いてみますかね(⌒~⌒)

    薄墨に かく玉梓と 見ゆるかな 霞める空に 帰るかりがね

      薄墨紙に書いた手紙のように見えることだ。霞んでいる空を
      (文字の形をして)帰っていく雁の姿は。

ナルホドねぇ( ̄◇ ̄;) 「薄墨[うすずみ]に」の解釈が、藤本・前掲書とは異なるわけだね(⌒~⌒)

やはり一つの注釈書だけに依存しちゃ危ないかとv( ̄∇ ̄)ニヤッ 読書全般に言えることだよね(〃'∇'〃) 

10kmも歩いちゃったよヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ 歩いて街まで行って帰って来るより歩いてんじゃん(^_^;)