朝ドラの放送時間帯は、他の時間帯よりも、楽天の各ラッキーくじが当たり易いのは(みどりん調べ)、
それだけ視聴してる人が多いということか^_^; 昔、某学会の事務局委員となり、初めて常任理事会に
出席し(議決権はないが発言はできる)、その後の懇親会に参加して、学界の偉~いセンセイたちが
どんな学術的な話をするか期待したのに、朝ドラの話で盛り上がったのにはびっくりしたよ( ̄◇ ̄;)
一度も視たことないけど、ヒロイン役の女優は昔のなら何人か名前を挙げることはできるかな(⌒~⌒)

【読んだ本】

杉本苑子『西国巡拝記』(中公文庫,1980)所蔵本

昨日の「第三十三番 華厳寺」で本書も読了と思われた方いるかもしれないけど、「一つの旅は終わり、
また新しい旅立ちが始まる。」と昨日の枕話でもちゃんと示唆してたよんv( ̄∇ ̄)ニヤッ 本書によると、
「西国札所には番外の寺が三ヶ寺ある。」ということで、今日は「番外 法起院」を読んだ(^^)

この番外の寺は「・・・観音さまを本尊としてはいない。法起院には長谷寺の開山徳道上人が、・・・
おまつりしてある。」由(^^) 「・・・西国霊場とのあいだに、浅からぬ因縁がむすばれて・・・」て、

    まず、法起院だが、ここを廟所としている徳道上人は、長谷寺をひらいた大徳である
    と同時に、西国めぐりの発案者――。はじめて三十三ヵ所巡拝のこころざしを起こし、
    その功徳を称揚した人だ。

つまり、長谷寺と関係が深~いわけだが、長谷寺縁起によると、飛鳥朝の頃の道明上人の西岡の庵と、
少し遅れて徳道上人によって東岡に建立された寺とが、後に統合して、豊山[ぶざん]長谷寺を形成
するわけで、「世人は西岡の庵を本[もと]長谷寺、東岡の寺を後[のち]長谷寺と、しばらくの
あいだ呼びならわしていたという。」(^^) その場所も「長谷寺参詣の途次ではあり、立ち寄って、
まず一拝をささげてゆくのは、私たち巡礼をこころざした者の常識といえるかもしれない。」と(^^)

徳道上人は「法起菩薩の化身とまでたたえられた善知識で、晩年は法起院に隠棲し、・・・」ていて、

    ・・・ある一日、弟子の僧たちに、/「上人さまは亡くなられた」/と言い触らさせ、
    さて、七日のちに蘇生してみせたあげく、/「閻魔大王から、すばらしいお告げを
    賜わったぞ」/と言い出した。/「閻魔さまからのお告げ? いったいどのような
    ことでございます?」/ひざをのり出す善男善女たちに、上人はほほえみながら
    次のように語った。/「日本には、観世音の霊場が三十三ヵ所ある。これを巡拝した者は
    極悪人でも、罪があがなわれるし、善人はもちろん、極楽往生うたがいない。
    霊場めぐりをしながら、もしまちがって地獄へくる者があれば、わしが代って
    その罪をひきうけてやろう、これはしるしの品だ、そうおっしゃって、ほら、この通り、
    閻魔大王は私に法印までおさずけくださったよ」/とたんにわれもわれも、霊場巡礼の
    希望者が続出したのは云うまでもない。/そこでみずから、リーダーとなり、上人は
    ひとびとを引きつれて、庵室を旅立ったのだが、これが三十三ヵ所めぐりの起原という
    ことになっているわけである。

ところで、本書の中で杉本苑子は再三にわたり現代の寺院の在り方を批判してて、元は仏教の専門誌に
連載されていたのに凄いなぁと驚いてた(゚o゚;) でも、フト気付いたんだけど、杉本苑子の「遺言」が
あーゆーものになったことに、この巡礼も何か影響したのかしらね(@_@;) その「遺言」については、
朝日新聞「天声人語」が間違った紹介をしてたので下記の如く批判したヾ(`◇´)ノ彡☆コノ!バカチンガァ!!

       ⇒ http://yomubeshi-yomubeshi.blog.so-net.ne.jp/2017-06-04

昨日の倍は歩いたはず(^_^;) 早寝遅起が今週の目標(^_^;)