まるで、修学旅行の思い出が、その帰り道、自宅近くのコンビニのレジのお姉さんがキレイだったこと
だけ、と言うのに等しいかと(-ω-、) お笑い芸人「いつもここから」の「悲しいとき」にありそう^_^;

【読んだ本】

藤本一恵(全訳注)『後拾遺和歌集(一)』(講談社学術文庫,1983)所蔵本

「人魚のミイラ」に関しては、昨日のコメント欄も参照して頂きたいのだが、杉本苑子『西国巡拝記』
(中公文庫,1980)の「第三十二番 観音正寺」に「ちかくに、歌枕でなだかい老蘇の森をひかえ」云々
とあったのが、最近の趣味が和歌を読む(≠詠む)ことである小生としては気になるところである^_^;

無駄に金ばかりかかる趣味だけど、こんな時こそ、買い集めた本が役に立つわけv( ̄∇ ̄)ニヤッ 珍しく
新品のを買ったというのにコーヒーをこぼしてしまった片桐洋一の好著『歌枕 歌ことば辞典 増訂版』
(和泉書院,1909)の「おいそのもり【老蘇森】」の項には、

    ・・・「郭公[ほととぎす]」がよくよまれた。また・・・「老」と掛詞にして
    我身にたとえた表現が多く、またその線で「年」「霜(白髪を暗示)」などの語や
    「下草」「朽葉」「嘆き(木)」など、、森の縁語をよみ込むことが多かった。

とあり、例歌が2首(^^) 他に岩波書店の「新 日本古典文学大系」の勅撰集の各巻は巻末に「地名索引」
も付いているので、そこから「老蘇森」が詠まれた歌を引いて、愉しい時間を過ごせるのさ(⌒~⌒)

さて、その中でも、後拾遺和歌集に入っている大江公資[きんより]の歌(歌番号195)を引く(^^)

    あづまぢの おもひでにせん ほととぎす 老曾の森の 夜半[よは]のひと声

別に難しくもなく、この通りの意味なんだけど、本書による〔歌意〕は、次のようになっている(^^)

    老曾の森で聞いたほととぎすの(すばらしい)夜半の一声を、東路での思い出に
    したいものだなぁ。

王朝びとはホトトギスの鳴き声をとにかく聞きたがったし、また本書の〔参考〕に「・・・公資のこの
歌が後世歌人どもの範歌となっていたことが知られる。」とあるように、よく本歌取りされてる歌(^^)

小生的に気になったのは、この歌の詞書で、本書の〔題意〕はソレを次のように訳している(@_@)

    相模守として上洛した際に、老曾の森のもとで、ほととぎすを聞いて詠んだ歌。

「相模守として上洛」とあり、本書の〔語釈〕にも「この場合は、関東下向の途次ではなく、相模から
上洛する途次。」とある(@_@;) 相模国から京都までの間には富士山を始め名所は幾らでもあるのに、
京都近くの近江国老蘇森まで来て初めて思い出になるような素晴しい出来事に遭遇したというのか^_^;

メチャ暑くなって、身体がダルい(-ω-、) しかも、相変わらず風が強い(+_+)