う~ん、マジでヤバいんだけど、話題の無さにデートなら相手が帰っちゃう(-ω-、) 天気、季節の花、
鳥さんの話も特に無いよ(ノ_-;)ハア… この枕に書くような話やネタ、全く思い付かないぞ((;゚Д゚)ヒィィィ!

【読んだ本】

深沢眞二&深沢了子編『芭蕉・蕪村 春夏秋冬を詠む 秋冬編』(三弥井古典文庫,2016)所蔵本

同じ本を3日連続で取り上げるのは異例だが、今日は伏線回収回ということでψ(*`ー´)ψヶヶヶ...
布石は連日してたとはいえ、100%自信があるわけではないので、〈気になる〉程度の指摘かも(^_^;)

昨日取り上げた藤原実方の塚での西行の歌、コレを紹介・説明した後の本書の記述が気になる(@_@)

    じつは、「枯野」は歌言葉としてはそれほど作例のあった語ではなくて、
    西行が好んで使い始めた語であった。たとえば、『山家集』には
    「枯野の草をよめる」と題された三首があって、そのうちの一首が
    「枯野」の語を詠み込んでいる。

    6 『山家集』

    霜かづく かれのの草の さびしきに いづくは人の こころとむらん

    (霜に覆われた枯野の草は寂しいものなのに、どうして人の心を
     とどめさせるのだろう)

    ススキなど、冬の野の枯れた草の風情に、西行は物悲しさや寂しさを感じ、
    愛好したようだ。「枯野」の情緒を愛する志向は、西行から起こり、
    次に述べる芭蕉に受け継がれたと言ってよさそうである。

この後、『おくのほそ道』の藤原実方の塚の話などを挟み、芭蕉の「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」
という辞世吟(下五は「かけめぐる」ではなく「かけまわる」の可能性大と深沢眞二は注)を紹介し、

    この句もまた、西行への思慕を背景にしていると思われる。芭蕉の念頭にあったのは
    次の西行歌ではなかったか。

    10 『新古今和歌集』巻第六・冬・西行法師

    津の国の 難波の春は 夢なれや 蘆のかれ葉に 風わたる也

    (摂津の国の難波の春の景色は、夢だったのか、今は、
     芦の枯れ葉に風が吹き渡る冬景色だ。)

    西行の、「枯野」への好尚をよく示す歌である。・・・

最後の歌には「枯野」という語は出てこないぞ!というツッコミはさておき、例歌として挙げられた
西行の2首から〈「枯野」の情緒を愛する志向〉や〈「枯野」への好尚〉が読み取れるのかしら(@_@)

先ずは、最初の「霜かづく 枯野の草の さびしさに いづくは人の 心とむらん」という歌なんだけど、
後藤重郎(校注)『新潮日本古典集成〈新装版〉 山家集』(新潮社,2015)は次のように訳した(^^)

    霜に覆われて枯れはててしまった野原の草の寂しさに、冬となった今は、
    どこに人は心をとどめるのであろうか。

久保田淳&吉野朋美(校注)『西行全歌集』(岩波文庫,)の脚注も下句(「いづらは」とする)を、

    どこに人は心をとめるのだろう。

ともに〈枯野には心をと(ど)めるようなところはない〉という含意が読み取れませんかね(@_@;)

もしそうなら、枯野は「どうして人の心をとどめさせるのだろう」とする本書の訳とは真逆となるし、
この歌から〈「枯野」の情緒を愛する志向〉を読み取ることなんか出来ないと思うんだけど(@_@;)

次に「津の国の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風渡る也」なんだけど、新古今集なので(歌番号625)、
例えば、久保田淳(校注)『新潮日本古典集成 新古今和歌集(上)』(新潮社,1979)の頭注の訳は、

    明るい光の満ちていた津の国の難波の春、あれは夢だったのだろうか。
    今日に映るものは蘆の枯れ葉だけ、さびしく風の吹き渡る音がする。

御覧の通り、本書の訳と大差ないけど、どこが〈「枯野」への好尚をよく示〉してるのかしら(@_@;)
同歌は「西行法師集」と「御裳濯川歌合」にも収録されてて、後者も入っている井上宗雄(校注・訳)
『新編日本古典文学全集49 中世和歌集』(小学館,2000)の脚注の解説は次のようなものだった(^^)

    ・・・回想の中で夢見る美しい春の風景。しかし眼前は一転して荒涼寂寥の冬景色。
    そこから生れ出る二重の映像によって深みのある歌となり、・・・

回想の中の春の風景と眼前の冬の景色、両者から生ずる無常感を詠じたもので、その片方=枯野だけ
取り出しちゃ意味が無いわけで、〈「枯野」への好尚をよく示す歌〉だなんて牽強付会だろ(@_@;)

芭蕉の辞世の句(井本農一『芭蕉入門』[講談社学術文庫,1977]は「この句はいわゆる辞世の句では
ありません。」)を吟じた際、「芭蕉の念頭にあった」のが西行の同歌というのはナルホドだけど^_^;

西行の全ての歌をチェックしたわけじゃないけど、「枯野」という語を用いた歌なら、『山家集』に、

    花に置く 露に宿りし 影よりも 枯野の月は あはれなりけり

という歌(歌番号519)があって、後藤重郎・前掲書の訳だと、

    秋草の花に置いてとりどりの色を見せた露に宿った月の光よりも、
    草木も枯れはててしまった野を照らす冬の月の光は一層あわれ深いよ。

この歌は〈「枯野」の情緒を愛する志向〉があるような気もするけど、主役は「月の光」だからね^_^;

以上、本書を奨めているわけじゃない、と繰り返し述べてきた所以ということで、回収終了かな(^_^;)

雨止んでたが昼過ぎまで曇ってて道路とか乾くのに時間かかった(+_+) 文句ばっか^_^; 時間割届く(..)