歴史小説と時代小説が異なること、歴史についての「当たり前のこと」も知らぬとはヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

【読んだ本】

瀬川貴次『ばけもの好む中将 平安不思議めぐり』(集英社文庫,2013)

ホラーは苦手で、ブログ「Rongo-Rongo」で訊ねたら、そうではないらしく、読んでみると面白くて、
リュカ様の御教示には感謝ですm(__)m 本書は「仁寿殿の怪」「角三つ生いたる鬼女」「葵祭の夜」
「鵲の橋」の4篇で構成されてる(^^) 怪異は愛でるものとして、物の怪が出たとの噂を耳にすると、
その場所に出向かずにはいられぬ左近衛中将宣能は「ばけもの好む中将」と言われてて、知り合った
ばかりの右兵衛佐宗孝が嫌がるのも構わず現場へと連れ立って行く・・・というのが物語の骨格^_^;
いわば名探偵と助手のパターンでミステリー的性格が強く、ストーリーの随所に伏線が張られてて、
ソレを見事に回収するんだから、作家として力量は大したもの(^^) ギャグに笑ったら、後でソレが
伏線だったとかね(゚o゚;) 登場人物の設定も魅力的で、中でも異母姉が12人いる姉弟の末っ子である
宗孝のちょいダメっぷりが好い(^_^;) 十一の姉上こと小宰相(8番目の姉=梨壺の更衣のところで
女房仕えしてる)が好みだけど、続刊で全ての姉が登場するといいなぁ^_^; 上記のタイトルからも
解るように、古典作品をコンテクストとしてるところもあり、「ばけもの好む中将」という綽名も
堤中納言物語と伊勢物語を意識させるように、とりわけ伊勢物語の話が随所に取り入れられていて、
小生も知ってる話に関して言えば、巧~く下敷きにしてる感じだった(^^) 未読の話もあったので、
伊勢物語を読んでれば、もっと面白く感じられたのかも(..) 逆の評価となった可能性もあるが^_^;
というわけで、正味1日ちょっとで読了できたよ(^^) さて、本題に入るが、本書の巻末「解説」を
大矢博子なる人物が担当していて、その書き出しの「歴史時代小説は大好きだが、・・・」云々の
「歴史時代小説」とは何なのかしら(@_@) 例えば、大村彦次郎『時代小説盛衰史(下)』(ちくま
文庫,2012)も「あとがき」で「歴史小説と時代小説は本質的に異なる。」と断言し、また尾崎秀樹
『海音寺潮五郎・人と文学』(朝日新聞社,1978)も「時代小説も歴史小説も、ともに歴史的な素材を
あつかっている点では共通しているが、歴史への対応のしかたが本質的にちがうのだ。そのいちばん
大きな相違点は、時代小説が歴史上の人物や事件、風俗を衣装として借りるのに反して、歴史文学
[ママ]は歴史的な人物や事件、風俗そのもののなかに真をみようとする。そのために前者では話の
筋書のおもしろさや、エキセントリックな内容に重きをおき、後者では歴史認識のありかたが中軸に
すえられる。」と解説してるように、本質的に異なる両者を一緒くたにするかね(@_@;) ま、チト
揚げ足取りみたいな感じもするし、気を取り直して先へと読み進めると、不安的中 C= (-。- ) フゥー
「それではただ単に平安時代を道具立てに使っただけの現代小説[ママ]なのか? 否である。」
だとぉ(゚ロ゚;)エェッ!? 本作品は「平安時代を道具立てに使った」時代小説以外の何物でもないぞ(^_^;)
まさか歴史小説だとでもw(゚o゚)w 本作品の登場人物は全て架空の人物だし、その上、瀬川貴次自身が
「あとがき」で「この作品では、特に平安のいつとは限定せず、・・・」と告白してて、平安時代の
歴史を厳密に描こうとはしてないことなどから、歴史小説とは言えないことは明白(^^) もしかして、
大矢博子は平安時代は金太郎飴の如く何処を切っても同じ様相を示すという歴史認識か(゚ロ゚;)マジ!?
しかも、大矢博子は「ただ単に・・・道具立てに使っただけの」などと時代小説を蔑視しているが、
歴史小説と時代小説との間には価値序列は無くジャンルが違うだけ(-"-) 本作品は、時代小説として
面白かった、と小生は高く評価しているよ(^^) 呆れつつ「解説」を読み進めて行くと、〈耳慣れぬ
役職名や官位、どういうものか想像できない生活の小道具や習慣、恋人には歌を贈り、災いは怨霊の
せい、何から何まで現代とは違う時代の、けれどそこに生きて泣いたり笑ったり妬んだり悩んだり
愛したりしていたのは、私たちと何ら変わらぬ人々だということが、「虫めづる姫君」ならぬ「ばけ
もの好む中将」らによって浮き彫りにされていく。/本書を読めば、平安時代の雰囲気はそのままに、
現代と地続きなのがすんなり心に落ちる、と言ったのはそういうわけなのである。〉とあったから、
全てが氷解した(「心に落ちる」とは??? 明治時代に「腑に落ちる」はあったけどね)( ̄□ ̄;)
先ず、時代小説と捉える限り、本作品が現代人の心性で平安人の心性を描いている点は問題ない(^^)
杉本苑子の歴史小説で登場人物が現代人の心性を持つ点に違和感があると批判したことあるけど^_^;
大矢博子の言う〈平安時代は現代と地続き〉云々が、(例えば、秋を物悲しく感じる現代人の心性が、
「万葉びと」には無くて、平安朝=後期王朝の「王朝びと」から、連綿と受け継がれてきたように
[西村亨『王朝びとの四季』講談社学術文庫])もしも〈平安人の心性 → 現代人の心性〉という
意味なら、理解できなくもない(^^) だが、そうではなく、上記の件で大矢博子は、本作品を読めば、
〈平安人の心性 = 現代人の心性〉であるのが解る、と言うのだから吃驚仰天だ∑( ̄ロ ̄|||)ナント!?
土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』(中公文庫,2004改版)巻末に今を時めく倉本一宏(日に何件
も別ブログにアクセスあり!)が書いた「解説」から引く(^^) 〈一九八〇年四月、東京大学文学部
国史学研究室の進学生歓迎会の三次会(参加学生は私を含め三名、場所は西新宿の某所)において、
土田先生はやおら居住まいを正され、「これから遺言を話す。俺が死んだら紙に書いて国史の研究室
に貼っておけ」とおっしゃり、我々二人に対して、次のような「遺言」を述べられた(一人はすでに
それを聞けるような状態ではなかった)。/ 一、現代人の心で古代のことを考えてはいけない。/
 二、古代のことは、古代の人の心にかえって考えなくてはならない。/ 三、俺は長い間、そう
しようと思ってやってきたが、結局駄目だった。/お前らにできるわけがない。ざまぁみろ。/この
内容について、私などが云々できるものではない。しかしながら、古代のことを古代の人の心で考える
という、いわば当たり前のことを、「透徹した史眼を鍛え、犀利な考察を行った」(『日本歴史』
五三九号掲載の笹山晴生氏による「訃報」)土田先生が口に出されるとき、その含む意味の深さは
いかばかりであろう。〉と、長文を最後までお読みの方へのサービスとして写したけど、深いね(^^)
こんな「当たり前のこと」すら分からぬ「書評家」が活躍してるんだから、チョロい世の中(´・_・`)

【買った本】

角田喜久雄『影丸極道帖』上(春陽文庫,1989新装)

「歴史上の人物や事件、風俗を衣装として借り」て「話の筋書のおもしろさや、エキセントリックな
内容に重きをお」いた、ザ・時代小説な本書(^^) やっと100円値下がりしたから、1000円「良い」を
ギフト券を使って、496円で(^^) この「銀座良品市場 安心の60日間保証 大量発注対応 請求書払い
(アマゾンビジネス登録済の法人様)OK!!」という出品者は、評価は高いけど、コンディション欄が
真っ白で、また初版が送られてくるんじゃないかと不安だったから、良かった^_^; 難点はヤケ^_^;

【Мアラート】

今夜、別ブログ「また、つまらぬ物を読んでしまったorz」を更新しますが、無視してプリーズ(^^)
一定期間更新しないと広告が表示されてしまうので、緊急避難的にリンクを追記するだけだから^_^;

んなわけで昼に更新m(__)m これだけしてもアクセスあったら当ブログを御覧になってないことに(゚o゚;)