早寝早起きの予定が本に夢中になった挙句に寝落ちし、まだ早いと二度寝して寝坊しちゃったの巻(+_+)

【読んだ本】

宮崎市定『水滸伝~虚構のなかの史実』(中公文庫,1993)所蔵本

布団に入る時に、佐々木泉『墨戯王べいふつ』(小学館ビッグコミックス,2004)が目に入り、ふと
思い付いて、未読の本書を手に取り、「まえがき」に目を通して、「第一章 徽宗と李師師」を読み
始めてしまったためである^_^; ちなみに、『墨戯王べいふつ』には「李師師」と題した話があり、
少し気は強いが魅力的な美人に描かれている(^。^;) 「いったい水滸伝は隅から隅まで、面白い話が
ぎっしり詰まっているのだが、まだ子供の時の私にはただ一箇所だけ、まことに面白くない退屈な
場面があった。それは梁山泊の豪傑が、所もあろうに開封府の盛り場の青楼で、李師師という芸妓
の取りなしで、時の天子徽宗皇帝に面会する件りである。」とは全くの同感(+_+) ところが、この
退屈な場面も本書本章を読むとメチャ興味深くなっちゃうんだから、やはり碩学の名著は凄い(゚o゚;)
なお、佐竹靖彦『梁山泊~水滸伝・108人の豪傑たち』(中公新書,1992)の「あとがき」は、本書を
「・・・[小川環樹の本より]さらにひろく史実との関連を全面的な尋ねたもの・・・」と概評(^^)
それにしても徽宗はどうしようもないバカ皇帝だね(ノ_-;)ハア… 「・・・その即位の際には、朝廷の
首席大臣から、天子になるには不適格者だと物言いをつけられたという不吉ないきさつがあった。」
として、〈章惇の言い放った言葉の「道楽者」は、原文では「浪子」[ ← 水滸伝で徽宗と面会した
梁山泊の燕青の綽号!]とある。これは良くいえば粋人、伊達者、悪くいえば放蕩息子の意味である。
章惇はこの時、文字通りには、/端王は浪子のみ。/と言ったと歴史に書いてある。さすがに多くの
歴史書では、このような俗語的表現を避けて、/端王は軽佻にして、以て天下に君たるべからず。/
と上品な言い方に書きかえている。しかし、事実は正にその通りであったらしく、この大事な際に
皇太后から急遽のお召しを受けても、邸を抜け出し、どこかを浮れ歩いていて、すぐには参内でき
なかったいう。」(゚ロ゚;)マジ!? 極め付けは、李師師と並んで徽宗皇帝の寵愛を受けた傾城に趙元奴が
いたが、「徽宗父子が金軍の捕虜になって開封城外の青城という所に長い間軟禁をうけ、その間に
金軍は城中に残された宋の政府を脅迫し、城中の官私の金銀を根こそぎ徴発して天子の身代金として
差し出せと要求し、城内では上下をあげて大騒動に陥るのであるが、驚いたことに上皇の徽宗は
知らぬ顔で、事態の重大さに気づいたらしくもなく、金の軍営中は単調でさびしいから、趙元奴を
こちらへ送ってもらいたいと政府に要求するのである。」ヾ( ̄o ̄;)オイオイ 「・・・常識派の歴史家
には理解できない[徽宗の]心理である。そしてこういう理解できない事実の積み重ねで北宋王朝は
滅亡した。」(´・_・`) なお、章惇は即位した徽宗により左遷され、〈彼は在任中に、旧法党の政治家
を迫害したというかどで後世の評判が悪く、「宋史」の中では、「姦臣伝」という一番不名誉な仲間
に入れられて、何も関係ないはずの歴史家からまで悪罵を甘受せねばならなかった。しかし今日から
見ると、このような評価は公平でない。もっとも中国の史論というものは、これまで不公平なこと
ばかりが通ってきていた。〉との件の最後の一文から、宮崎市定が気骨ある歴史家であると判る(^^)

寝坊しても眠い(+_+) 今週末も台風(22号)で雨_φ( ̄^ ̄ )メモメモ