東野圭吾『片思い』も週刊文春連載時の駒田寿郎による挿絵が良かったから毎回ついでに読んだ^_^;

【読んだ本】

塚本学(文)&一ノ関圭(絵)『江戸のあかり~ナタネ油の旅と都市の夜』(岩波書店,1990)

読了(^^) 「歴史を旅する絵本」全八冊の内の一冊(^^) 一ノ関圭の作画を目当てに借りたが、そちらは
正直イマイチかなぁ(..) ← 個人の感想ですm(__)m 与謝蕪村の「なの花や月は東に日は西に」
という有名な句に続けて、蕪村が大坂に生まれたことを紹介した上で、当時の大坂の周辺には「一面の
菜の花畑という風景が見られるところがあったのです。」という指摘などなど、巻末の「江戸のあかり」
という一文には目から鱗ひ~らひら(゚ロ゚;) また「享保11年(1726年)、江戸に入った油は9万樽ほどで、
うち7万樽ほどが大坂方面からの荷でした。幕府が関東地方でのあかり油生産の増加につとめたことも
あって、19世紀はじめころには、江戸に入る10万から11万樽ほどの油の3分の1近くは関東の産というほど
になったといわれます。江戸の町には、田舎からでてきたもののきまった職がなく過ごしているひとが
かなりいましたが、寛政2年(1790年)、幕府はこうしたひとを収容する施設を石川島につくり、そこで
関東各地からのナタネをしぼって油をとる仕事をやらせてもいます。」(49頁)とあるが、この油絞り
作業は重労働ゆえ逃走する者が多くて、この人足寄場という制度は失敗と評価されてきたんだけどね^_^;
人足寄場と油市場に焦点を当てた論文を昔2本読んだことも思い出した(..) 更に「あんどんの照度は、
20ワット蛍光灯の照度の150分の1です。そのあんどんより油を節約したあかりで、文字を読んだりした
ひともありました。月夜のあかるさは、やはり大きな喜びであり、蛍の光・窓の雪も、けっこう実際に
あかるかったはずです。」とあり、付いていた栞の対談でも〈一ノ関 ショックだったのは長野県小布施
町の「日本のあかり博物館」で、光源を実際に三つ比較してあるのを見た時です。あんどんはこんなに
暗かったんだ、というのが本当の実感でしたね。何も見えないですよ。あれで針仕事していたなんて、
信じられない。/塚本 だから、お月様のあかりだとか、星あかりだとかねえ、けっこう実用的だった
んでしょう。/一ノ関 ありうると実感しました。〉由、『月百姿』あたり鑑賞し直そうかな(@_@;)

寺尾善雄『中国英雄伝』(旺文社文庫,1986)所蔵本

西村亨『王朝びとの四季』(講談社学術文庫,1979)所蔵本

池田弥三郎『百人一首故事物語』(河出文庫,1984)所蔵本

真保裕一『繋がれた明日』の週刊朝日連載時の挿絵は少年刑務所なのに某女子少年院外観写真転用(-"-)