紫式部ブームに便乗するため本気を出して勉強して本書を執筆したのかな(^_^;) 研究者・専門家を
相手にした学術書で間違った記述をして、一般人向けの一般書で正確な記述をするのは変だろ(^_^;)
2月28日に図書館でリクエストした本も実は学術書で、その後OPACで見ても「手配中」にすらならず、
3月13日にカウンターで訊ねると、年配男性職員が奥で調べるも分からなくて、同日の夕方に電話で
「手配」していなかったことのお詫びと「手配」した旨の連絡(@_@;) OPACで確認すると2月28日付
で「手配中」と表示され、図書館も本気を出してくれたのか、昨日19日の夕方に「確保」の由(^_^;)
図書館へは昨日の昼過ぎに既に行っちゃったし、また今日は尾根道を歩いてお寺&お墓まで往復して
疲れきってるから、何日かしてから25日開花予想の桜の状況の確認がてら街まで歩こうかなと(^_^;)

【読んだ本】

福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』(平凡社新書,2023)

学術書である福家俊幸『日本古典評釈・全注釈叢書 更級日記 全一冊』(KADOKAWA,2015)を披いて
「六十二 時雨の夜の春秋優劣」の「参りたる人のあるを」の語釈の源資通についての説明で次の件
(同書241頁)を読み、いつの時代の学説だよ!と呆れてしまった( ̄◇ ̄;)

    ・・・なお、資通は宇多源氏であり、曾祖父の雅信は道長正室倫子の父で祖父時中の弟
    時通、扶義は紫式部の親友大納言の君、小少将の君のそれぞれ父であったと考証されて
    いる。・・・

「時通」を「大納言の君」の父、「扶義」を「小少将の君」の父とするのは『尊卑分脈』等の記述を
鵜呑みにした大昔の説で、1963年の萩谷朴論文による「考証」以降は、『紫式部日記』の各注釈書、
1971年の日本古典評釈・全注釈叢書(萩谷朴)、1980年の新潮日本古典集成(山本利達)、1989年の
新日本古典文学体系(伊藤博)、1994年の新編日本古典文学全集(中野幸一)、2002年の講談社学術
文庫(宮崎莊平)は、「時通」は「小少将の君」の父、「扶義」は「大納言の君」の父ヾ(`◇´)ノ
ちなみに、『新古今和歌集』の注釈書の多くも、「考証」することなく『勅撰作者部類』に従って、
入集歌作者の「上東門院小少将」( ←「小少将の君」のこと)を扶義女としちゃってるんだけどね
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-01-12 )(^_^;) それはさておき、
本書は一般書だけど186頁と208頁にそれぞれ次の記述があり、誤り&不勉強に気付いたのかな(^_^;)

    ・・・小少将の君は道長の北の方倫子の姪で源時通の娘である。/・・・

    ・・・/続けて、言い訳のように、「これは自分のために言っているのではない。
    この上なく上品で美しい小少将の君が男性関係や父(父親の源時通の永延元年
    〈九八七〉の出家のことを指すと言われる)のことなど、幸薄い状況にあるために
    言っているのだ」と紫式部は書く。/・・・