下手な紹介をされると駄本屑本と読者に思われてしまい著者は有難迷惑か〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

川端善明&荒木浩(校注)『新日本古典文学大系41 古事談 続古事談』(岩波書店,2005)所蔵本

朝日新聞の昨日の朝刊の長文コラム「日曜に想う」、「世襲男性の政界 まるで平安中期」と題して
有田哲文なる記者が〈・・・中公新書の「謎の平安前期」。・・・/著者の榎村寛之さんを訪ねた。
・・・〉云々と書いているのに目が留まったので、読んでみたよん〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/平安中期はまた、地方出身の男の秀才たちも政治から排除されていく時代
    だった。榎村さんによると、平安の前期であれば、有力とはいえない氏族出身でも
    都の大学[ママ]で学問を身につけ、太政官の構成員にのぼりつめる例がいくつも
    見られたという。一定の社会的流動性があったのだ。/風向きが変わるのが、菅原
    道真の失脚あたりからだ。学問を武器に右大臣にまでなった道真だが、藤原氏から
    疎んじられた。それ以降、政治に関わるのはもっぱら、藤原摂関家に生まれた者たち
    や、天皇の子息から臣下にくだった源氏の1世2世ばかりになっていく。/・・・

文章生から大学頭を経た「男の秀才」で「菅原道真」と同じ学者文人政治家であり、道真を「失脚」
させた醍醐天皇から朱雀、村上、冷泉、円融の五代の天皇に出仕して、「出身」は「藤原氏」だけど
「藤原摂関家」ではなく、「有力とはいえない」魚名流から左大臣(道真の「右大臣」より上位)に
までなった藤原在衡という例外もいたことを榎村寛之は有田哲文に教えてあげなかったのか(@_@;)

    /魚名流藤原山蔭(従三位民部卿中納言)の孫。有頼(従五位下但馬介。縁起は
    但馬守)の子。その弟如無(興福寺僧、大僧正に至る)に、幼い時継母によって
    海に落とされるが、曾て山蔭によって助けられた亀に救われるという伝承(今昔
    一九ノ二九、宝物集六、十訓抄一ノ五、長谷寺験記・下・一三など)がある。
    在衡は実は如無の子だ(尊卑分脈。縁起は「実如無僧都真弟子云々」)というのは、
    父や祖父の官位官職を遙かに超えて従二位左大臣に至った(「延喜以後曾未有事」
    〈時信卿記・天承元年十二月十七日〉)在衡への一つの伝説であろう。・・・

本書の脚注が指摘する「伝説」以外にも浅見和彦(校注・訳)『新編日本古典文学全集51 十訓抄』
(小学館,1997)や源顕兼(編)伊東玉美(校訂・訳)『古事談 下』(ちくま学芸文庫,2021)にも
藤原在衡に関する説話が二つあり(両書とも同話)、後者の「評」に「[『古事談』]六-三三話に
見える精励ぶりなど、在衡の異例の昇進の理由を探り、それを人柄や信心に求める説話が、本話[四
-四一]以外にも複数残っている。」とある如く、得心がゆく理由・説明を人々は欲したと(@_@;)

・苑子タン、教養が無さすぎ!もっと調べてから書けヾ(`◇´)ノヾ( ̄o ̄;)オイオイお前は言えないだろ!

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