〈喉に刺さった小骨のように心に引っかかる〉なる表現は『大辞林』の何の項に出てるんだ(@_@;)

【読んだ本】

萩谷朴『風物ことば十二カ月』(新潮選書,1998)所蔵本

数日前に読んだ本に出てきた「海月[くらげ]の骨」、この言葉が解説されているのを以前に読んだ
記憶はあるのだが、それが何の本か判らず、〈喉に刺さった小骨のように〉気になっていた(@_@;)
ちなみに、『大辞林』第一版第一刷は「くらげ【(水母)・(海月)】」の項で「──の骨」として
「あり得ないこと、または非常に珍しいことのたとえ。」と説明してる〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
やっと今日になって本書の「七月」の「海月」の項であることが判明した(ノ_-;)ホッ…

    ・・・/源平合戦の頃の武将源仲正の歌に、

      わが恋は海の月をぞ待ちわたる
        海月の骨に逢ふ世ありやと

    というのがございますが、何時までも叶えられる事のない恋の侘びしさを、
    骨のない海月が、何時になったら骨を身につけて、人並に身装[みなり]を
    整える事が出来るのだろうという心もとなさに掛けて詠んだものでございます。/
    『枕草子』第九十七段には、一条天皇の中宮定子の御所に、中宮の弟隆家が
    やって来て、「すばらしい扇の骨が手に入ったが、これには滅多な紙は貼れた
    ものじゃない」と得意になっているので、清少納言が「一体どんな骨でござい
    ますか」と尋ねると、「いやもう、全然見たこともない骨だ」とおっしゃるので、
    「それじゃきっと海月の骨ですね」と調戯[からか]って大笑いになったという
    話がありますが、絶対に無いものと相場のきまった海月が、骨なしになった訳には、
    皆様ご存じのお伽話がございます。/・・・

上宇都ゆりほ『コレクション日本歌人選047 源平の武将歌人』(笠間書院,2012)も源仲正(仲政)
は「・・・歌語としてめったに見られない、あるいは独自に創出された言葉・・・」を多く用いたと
指摘(百目鬼恭三郎『新古今和歌集一夕話』[新潮社,1982]は、仲正の父の頼綱、子の頼政、頼政
の子の仲綱も同じ傾向があり、「つまり、頼政の摂津源氏は四代にわたって新奇な表現を好む歌風を
保ってきたわけなのである。」とも)(^_^;) ただ、「海月の骨」は藤原元真(三十六歌仙の一人)
の「世にし経ば海月の骨は見もしてむ網代の氷魚はよるかたもなし」が既にあると諸書が指摘(^_^;)
次に気になり出したのは、本書を「191015読んだ本&買った本」の購入記録後は「日課」として毎日
読んでいたことは拙ブログから判り、ちゃんと読了した記憶もあるのに、それが何年末のことなのか
拙ブログ内を検索しても記録が無い(ノ_-;)トホホ… 今日からセーター着るもヒートテックはまだ(^_^;)