部屋で蚊を一発で仕留めると剣豪にでもになった気分も手の平の血の量を見て複雑な気持ち(-ω-、)

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

前回(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-08-22 )に続き、今回は陶淵明の
(「帰去来の辞」と同じ時に作られたらしい)「帰園田居」(園田の居に帰る)五首のうちの其一の
第五句第六句の「羇鳥は旧林を恋い、池魚は故淵を思う」で、その意は「旅の鳥はもと棲んでいた林
を恋い、池の魚はもと泳いでいた淵をなつかしむという。」(^^) 〈「帰去来の辞」と同じく、故郷
の田園に帰ったよろこびの心情の満ちあふれた詩である。〉(^^) 前回、てゆーか、昨日の話だが、
「陶淵明の詩の中で日本人に最もしたしまれている」「最も広く知られている」のは「帰去来の辞」
だと小生は思っていたんだけどね(^_^;) とまれ、この詩は、第一句に出てくる〈「俗に適うの韻」
とは、世俗の人々とうまく調子をあわせていく才覚。〉を意味するそうでチト興味深いけど、フツー
に「羇鳥戀舊林 池魚思故淵」は名句かと(^^) さて、さて、さ~て!気になるのは、駒田信二が、
他の回では指摘してるのに(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2023-07-05 )、
今回はある芭蕉の句が実はこの詩句を踏まえたものである旨の指摘をしていないことである(@_@;)
この書いて無いことをどう解すべきなのか(@_@;)

    /論理解釈は、以上説明したように、文理解釈とはちがって、法令の文字、文言
    のみにとらわれずに、いろいろのものごとの道理、理窟によって解釈すること
    であり、いわば自由に解釈をするというところに特色があるのであるから、その
    解釈の方法について特にきまった法則があるわけではないが、一般に、学者は、
    論理解釈を、さらに、拡張解釈、縮小解釈、変更解釈、反対解釈、類推解釈、
    もちろん解釈などに分類する。はじめの三つは、法令の規定の文字、文言を、
    それがふつうに意味するところよりもひろげて解釈したり、縮めて解釈したり、
    または多少変更して解釈したりするやり方で、いわば文理解釈と論理解釈とを
    調和したやり方である。あとの三つは、法令の文字、文章の上には直接に書いて
    ないことを、他の法令をもととして、言外に読みとって、その規定の意味を知ろう
    とする方法である。そして、反対解釈は、ある法令に書いてあるところをもととして、
    他の場合はその反対であるということを推定しようとするものであり、類推解釈は、
    ある法令に書いてあるところをもととして、他の場合にも同様のことが書いてある
    と推定しようというものである。もちろん解釈は、類推解釈の一変形である。/

林修三『法令解釈の常識』(日本評論社セミナー叢書,1959→1975第2版)の「論理解釈の分類」を
引いたけど、芭蕉の句は「羇鳥戀舊林 池魚思故淵」を踏まえてないと駒田信二は考えているから、
と反対解釈することにした(^_^;) 芭蕉は陶淵明の詩句ではなく聖書を踏まえて・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;
なお、芭蕉の句を当てた方には漏れ無く座布団10枚(^o^)丿ヾ( ̄o ̄;)オイオイ豪華賞品はないくせに!