芸能界で生き残っているようだし、不肖の息子と一茂のことを評する人も少なくなったかも(@_@;)

【読んだ本(バカチン)】

伊藤梅宇(著)亀井伸明(校訂)『見聞談叢』(岩波文庫,1940)所蔵本

目次を眺めていたら、「僧寂照」(一部の漢字の字体が異なるが、以下も同様)という項があって、
大江定基はバカチン連環記もあるしチェックしなきゃと該当頁を見たら呆れたエッ(゚Д゚≡゚Д゚)マジ?

    僧寂照と云ふもの慥[たしか]にしれずといゝ傳ふ。しかれども平判官康頼赦免を蒙。
    上洛して雙林寺にこれもおれり。山莊をかまへておれり。法名を寂照と云ふ。この所
    にてよめる歌をあつめて寶物集と名を命ずと。(源平盛衰記に載す。)

平康頼の出家のことなら『平家物語』に出てて、杉本圭三郎(全訳注)『平家物語(二)』(講談社
学術文庫,1979)の現代語訳だと、「康頼は、[鬼界が島に]流されたとき周防の室積で出家をし、
法名を性照とつけていた。」とあるように、本文にも「性照[しゃうせう]」と(^_^;) ちなみに、
同じ件の「性照[じゃうせう]」に付した頭注において、水原一(校注)『新潮日本古典集成 平家
物語 上』(新潮社,1979)も〈読み方他本はシヤウセウと清音にいう。底本濁点をほどこしたところ
があるので、ジヤウセウに定めた。字は延慶本には「聖照」とある。〉と(^_^;) 『源平盛衰記』は
未見だけど、『平家物語』の異本の一つだから、仮に『源平盛衰記』に「寂照」と記されていたら、
そのことを両書は必ず注釈で言及・紹介しているはず(^_^;) もしかして堀川学派というのは、この
程度だったのかなぁ(@_@;) あるいは単に伊藤梅宇が伊藤仁斎の不肖の息子だったのかな(@_@;)