かつて本書についての書評だかレヴューだかを読んで、マジで瞠目させられたことがあった(⌒~⌒)
来月は水道代の支払いがあって赤字になることが判明と書いたが、とんでもない勘違いをしてて既に
大赤字であることに気付いた(ノ_-;)ハア… 自棄になって3700円の古本を注文してしまいそう(´ヘ`;)

【読んだ本】

高島俊男『しくじった皇帝たち』(ちくま文庫,2008)所蔵本

「隋の煬帝」と「露伴『運命』と建文出亡伝説」の2篇から成る本書、その書名の「しくじった皇帝
たち」とはモチ隋の煬帝と明の建文帝を指すわけだが、どこかの書評だかレヴューだかを見てたら、
文豪・幸田露伴も「しくじった皇帝」の一人だと指摘されていて、ナルホド!と心底感心した記憶が
ある(^_^;)

    ・・・/第二。露伴も『運命』ではしくじったが、そりよりなおみっともないのが、
    『運命』を絶讃した評論家達である。日本の知識人は日本と西洋のことを言ってれば
    いい。わかりもしない漢籍について知ったかぶりをふりまわすのは聞き苦しい。/
    ・・・

久しぶりに「露伴『運命』と建文出亡伝説」を再読して、「露伴も・・・しくじった」とあることに
気付いた(^_^;) モチ見落とさなかった書評者・レヴュアーに対する評価は全く変らないけど(^_^;)

    ・・・露伴はそれ[=『明史紀事本末』を読む]まで、建文帝が焼け死んだか逃げたか
    という問題があることも知らなかった。そして『明史紀事本末』の記載をまったく史実
    であると信じて書いたのが『運命』である。/『運命』の大部分は、『明史紀事本末』を
    書きくだした──つまり訓読した──だけのものである。/『運命』発表当時、これを
    露伴一代の傑作だと言う人が多かった。名文だというのである。/これは、大正のなかば
    すぎにはもう漢文の素養のない人が多かったことを示すもので、おもしろい現象だ。
    『運命』が支那文(漢文)の訓読にすぎないものだということがわからなかったのである。
    別に露伴でなくても、だれが訓読してもおなじものができる。中学生がやってもおなじ
    ことだ。それがわからなかったのである。/・・・

高島俊男によると、幸田露伴より200年も前に室鳩巣が『駿台雑話』に建文出亡伝説のことを書いて
いたが、幸田露伴はこれまた意外なことに『駿台雑話』を読んでいなかったらしい(^_^;)

    『駿台雑話』は、江戸時代の数ある随筆のなかでも、著名なことでは十指にはいる、
    いや多分五指にはいるだろう本だが、『運命』について書いた評論家達の文章で、
    これに言及した人があることを知らない。どうも、現代日本の文芸批評家は、江戸
    時代の随筆なんぞは手にとらないのかもしれない。/・・・

「わかりもしない」(「江戸時代」以前の)古典「について知ったかぶりをふりまわ」してる(^_^;)