パクリ(本)だと直截に指摘するのは失礼かと思って遠回しに書いたんだけど通じない人々が(^_^;)
靴は脱がないと思って柄物の靴下で法事に行ったら畳の部屋な上に記念(?)撮影まで(ノ_-;)トホホ…

【読んだ本】

駒田信二『漢詩名句 はなしの話』(文春文庫,1982)所蔵本

駒田信二『中国故事 はなしの話』(文春文庫,1981)を昨日読了したので、その「姉妹篇」と巻末の
「あとがき」にある本書をチンタラと(何ヶ月もかけて)読み始めることに(^_^;) 本書の一つ目は
「聊[いささ]か復[また]此の生を得たり」で、この名句が出てくる陶淵明の「飲酒二十首」の
「其七」を取り上げてる(^^) 本書の解説を読むとナルホド素敵な作品と思ったので、本書の訓読文
と訳文を(全ては面倒ゆえ)第四句まで引く(^^)

    秋菊佳色有り
    露に裛[うるお]える其の英[はな]を掇[つ]み
    此の忘憂の物に汎[うか]べて
    我が世を遺[わす]るるの情を遠くす

    秋の菊は美しく色づいて、露にぬれている。その露にぬれた花びらをつんで、
    この憂いを忘れる物(酒)にうかべて飲めば、世俗をはなれる思いはいよいよ深まる。

植木久行『唐詩歳時記』(講談社学術文庫,1995)も第四句までは紹介しており、その訓読文も(^^)

    秋菊に 佳色有り
    露に裛[うるお]いし其の英[はな]を掇[つ]む
    此の忘憂の物に汎[うか]ぶれば
    我が世を遺[わす]るるの情を遠[ふか]くす

吉川幸次郎『陶淵明伝』(中公文庫,1989)は流石にこの詩の全体を紹介も次のような訓読文(^_^;)

    秋の菊には 佳[よろ]しき色有り
    露に?[ぬ]れつままに 其の英[はな]を?[つ]み
    此の憂いを忘るる物に泛[うか]べて
    我が世を遺[す]てし情を遠[ひろ]む

この詩に限らず、吉川幸次郎の訓読文は小生の好みではないなぁ(^_^;) それはさておき、植木久行
・前掲書が〈「忘憂の物」とは、もちろん酒のこと。さまざまな心の憂いを忘れさせてくれるからで
ある。〉と説明しているように、本書も訓読文の直後に〈第三句の「忘憂の物」とは酒。〉と語釈的
説明があるんだけど、何故か本書はこの詩の訳を記した後にわざわざ『詩経』邶風の「柏舟」という
詩まで紹介した上に次のような解説も加えている(@_@;)

    ・・・この[『詩経』の]詩に対する毛伝(毛萇の注)に、「我に酒無きに微[あら]ず、
    以て敖遊して憂を忘る可し」とある。酒を「忘憂物」というのはこれにもとづく。/

新潮社から1956年に刊行後は新潮文庫で版を重ねていた前掲『陶淵明伝』で、〈鳥に言及した詩は、
「飲酒二十首」のなかにもう一首ある。それは酒に「憂いを忘るる物」という愛称を与えたことでも
有名な詩であって、・・・〉とか、〈酒に名づけて、「憂いを忘るる物」というのは、・・・〉など
と記していた吉川幸次郎の不勉強を駒田信二は暗に指摘したんだろうね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
伝記・評伝の作者というのは何でもその人物の創見・創作にして偉大に見せようとする傾向が(^_^;)