原文が間違っている上に、その現代語訳まで間違っているんだからね〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(バカチン)】

倉本一宏(全現代語訳)『藤原道長「御堂関白記」(下)』(講談社学術文庫,2009)所蔵本

藤原道長の日記『御堂関白記』で、藤原道長が言葉を間違って使っていること、その誤りに倉本一宏
も気付いているのに、つい引きずられてしまったか、間違った使い方の訳文にしていた本書(^_^;)

先ずは正しく使っている同日記の長和2年(1013年)10月16日条を、倉本一宏(全現代語訳)『藤原
道長「御堂関白記」(中)』(講談社学術文庫,2009)の訳で引く(^^)

     十六日、甲戌。 入宋僧念救と雑事を語る

    早朝、小雨が降った。雪も交っていた。これは初めての雪であった。帰朝していた念救は、
    父母を訪ねるために、土佐国に下向した。念救は、土佐守(藤原)季随の許に賜う仰書を
    請うてきた。そこで仰書を賜った。中国についての雑□を、念救と語り合った。宜しい話
    も有った。

「宜しき事等有り。」(国際日本文化研究センター「摂関期古記録データベース」の訓読文で、以下
も同様)が何か気になるけど、「帰朝していた念救」(「帰朝の念救」)の「帰朝」の使い方は問題
ナシオン主権(^^) ところが、同日記の長和4年(1015年)7月15日条の冒頭部分では「帰朝」という
言葉が間違って使われており、「摂関期古記録データベース」の訓読文と本書の訳文を引く(^_^;)

     十五日、壬戌。

    唐僧念救、帰朝す。唐の天台山より求むる所の作料物を送る。・・・

     十五日、壬戌。 入宋僧念救、帰朝/藤原済家、母馬を献上/念救に書状を託す

    入唐僧念救が宋に帰朝した。唐の天台山から求めてきた大慈寺の作料物を送った。

「入唐僧」なら日本人で(現に父母が土佐にいる由)、「帰朝」ではなく、正しくは〈渡唐〉(^_^;)
「帰朝」とは手元の『大辞林』第一版第一刷にも「外国から日本に帰ってくること。」とある(^_^;)

    ・・・/寂照は、長保五年(一〇〇三)に宋にわたり、時の真宗皇帝から円通大師の号
    と紫衣を賜っている。寂照は宋商人を介して、入宋後も道長と親しく書簡を交わしている
    のである。当時、天台山大慈寺の再建が計画され、寂照がこれに協力して、寄進をつのる
    ため、弟子の念救を一時帰国させたことがあった。寂照は念救を介して道長に摺本の
    『白氏文集』や天台山図を贈り、寄進への協力を仰いだのであった。これを受けて道長が
    寄進のため多くの品々を用意したことが、『御堂関白記』に書き連ねられている。やがて
    念救は、長和五年(一〇一六)七月に道長の書状や寄進物、仏典購入のための金をたずさ
    えて、宋の寂照の許にもどっている。/・・・

河添房江『唐物の文化史 舶来品からみた日本』(岩波新書,2014)は斯く記してて、(気になる点が
別にあるも)念救は「宋の寂照の許にもど」るのに一年かかったのか(@_@;) 典拠は何だ(@_@;)