岐阜羽島駅前の銅像で知られる大野伴睦は衆議院議長や自民党副総裁も務めた党人派の大物政治家で
「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人」「政治は義理と人情だ」等の発言
も有名だが、義理チョコが廃れたなら人情チョコあるいは同情チョコがあってもいいのでは(@_@;)

【読んだ本】

北山茂夫『藤原道長』(岩波新書,1970→1995特装版「岩波新書 評伝選」)

昨日と同様に本書の「終章 無量寿院の大殿」から引く(本書191頁)〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・あくる一〇二六年(万寿三)のはじめに、大殿に久しく追随してきた
    あの公任は出家して政界から退き、つづいて、彰子も、父や母のあとを追って
    剃髪した。さきに父の出家を制したこともあるこの寡婦が、天皇、東宮の母として
    重責を双肩に荷なう身の上で、どうしてこのとき卒然として出家にふみきった
    のであろうか。その原因はよくわからないが、嬉子の夭折が出家をはやめた
    ことだけは確かであろう。彰子の出家も道長にとっては暗い身辺の現実である。
    彼女は、伯母東三条院の先例にならい女院としての厚い国家的待遇をうけた。
    その座所にちなんで上東門院という。『左経記』は、彼女に殉じて出家した
    六人の女房(侍女)の名を記録している。道長の出家には一人として、
    近習の公卿、受領から入道の挙にでるものはなかったが、それと対比すると、
    宮と女房のあいだははるかに人間的な結びつきにおいて深かったのである。
    いうまでもなく、これから上東門院が六人の侍女の面倒を見てゆくことになる。
    /・・・

源経頼の日記『左経記』の万寿3年(1026年)正月19日条の当該件を、国際日本文化研究センターの
「摂関期古記録データベース」から引く(なお、[ ]は原文のもの)(@_@;)

     十九日、丁酉。

    ・・・「今日、女房六人、出家す」と云々〈「中納言君・弁内侍[内侍なり。]・
    大輔命婦・大弁・土佐・筑前命婦」と云々。〉・・・

『栄花物語』の叙述では「殉じて出家した・・・女房(侍女)の名」も数も異なっており、松村博司
『日本古典評釈・全注釈叢書 栄花物語全注釈(五)』(角川書店,1975)の訳で引く(@_@;)

    ・・・[彰子の出家]当日となっては、後にのこる女房もなく参集した。源三位・
    伊勢の中将・中納言の尼なども皆参上した。その日の女房の衣裳は、華やかに
    着飾っていた。この幾月かは我も我もという勢いで後れ申し上げますまいという
    人ばかりが多かったが、真実その場に当面してみると、それはでたらめであった。
    その約束どおり、世を捨て、同じ仏道に入る人々は、少将の内侍・弁の君・
    弁の内侍・染殿の中将・筑前の命婦などである。この人々の衣裳は、普通の場合
    でさえ立派なのに、別れを惜しんでいるのであるから、いうにいわれず立派である
    中でも特に、弁の内侍が出家を決心したことを殿がたなども、大層しみじみと
    悲しんでかれこれおっしゃる/・・・

「弁の内侍」(←源扶義の後妻となるも死別して内侍として出仕した藤原義子と松村博司は推定)は
モテモテと_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 『栄花物語』の上記叙述にリアリティを感じるのは小生だけか(@_@;)

小生は、「源三位・伊勢の中将・中納言の尼」の3名は出家せず、「少将の内侍・弁の君・弁の内侍
・染殿の中将・筑前の命婦」の5名だけが「殉じて出家した」と理解したけれど(話の流れに加え、
出家する前のはずなのに「中納言の尼」と表記している点から)、同書(底本は梅沢本)は「大宮と
ともに出家した女房達」として富岡本『栄花物語』や『左経記』と対比した表では上記3名も含んで
いる上に、〈・・・三本完全に一致するのは筑前の命婦だけであるが、[同書の]「中納言の尼」と
[富岡本や『左経記』の]「中納言君」とは同一人であろう。〉と松村博司は推定している(@_@;)

歴史物語(『栄花物語』)の叙述は、古記録(『左経記』のような貴族の日記)の記述に比べると、
その信頼度は劣る、というのが歴史学の史料評価のイロハらしいので、同じく古記録である藤原行成
の日記『権記』の同日条から関連する件を、倉本一宏(全現代語訳)『藤原行成「権記」(下)』
(講談社学術文庫,2012)の訳(同書467及び468頁)で引く(@_@;)

     十九日。 藤原彰子、出家。上東門院となる(『院号定部類記』)

    今日、太皇太后(藤原彰子)が落飾入道した〈三十九歳。〉。・・・
    「また、宮宣旨〈故(源)伊陟[これただ]中納言の女。〉・弁内侍
    〈故(藤原)順時[のぶとき]朝臣の女。〉・大弁・大輔・大進・
    筑前命婦も尼となった」と云うことだ。・・・

『権記』の「大進」は『左経記』の「土佐」と同一人物ということになるけど、ホントかな(@_@;)
なお、老眼の所為かルビが「だいじん」となっているように見えるが、間違いではないかな(@_@;)

・『御堂関白記』と『権記』の天候記載の食い違いと高橋秀樹『北条氏と三浦氏』の史料批判(@_@;)

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