ペコちゃんのお友達のポコちゃん、実は中国人で、名字は陳・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;

【読んだ本(バカチン)】

松原朗『唐詩の旅 長江篇』(現代教養文庫,1997)所蔵本

陳舜臣(監修)『中国古典紀行2 唐詩の旅』(講談社,1981)のカラー特集「江南春」の「蘇州」の
〈蘇州西南郊外にある楓橋[ふうきょう]。中唐の詩人張継の「楓橋夜泊」で一躍有名になった。〉
というキャプションが付いてるカラー写真を見て不思議に思った(@_@;) 松原朗は「楓橋は、蘇州の
閶門[しょうもん]に出て西に約五キロ、南北に通う大運河にかかった橋である。」と本書に記して
いるのに、同書の写真の川幅は「大運河」どころか5mもあるようには見えないから(@_@;) そこで、
松浦友久『中国詩選 三 唐詩』(現代教養文庫,1972)を披くと、張継「楓橋夜泊」の解説で「蘇州は
水郷である。市内にも郊外にも堀割[クリーク]が通じ、水路の便は申し分ない。寒山寺の門のすぐ
前にも、クリークがある。楓橋に通じる水路である。」とあり(前掲『中国古典紀行2 唐詩の旅』に
「寒山寺前の江村橋」というカラー写真も載ってて川幅は同程度)、更に、植木久行『唐詩物語──
名詩誕生の虚と実と』(大修館書店あじあブックス,2002)100頁の「楓橋」の語釈に「蘇州城(江蘇
省蘇州市)の西郊約五キロの運河に架かる橋の名。・・・ちなみにこの楓橋は、隋代に成る江南運河
(いわゆる大運河)そのものではなく、そこへ流入する水路に架かっていた。・・・」と説明があり、
誰がバカチンかは明らかになった(^_^;) なお、植木久行・前掲書によると、実は、この張継の唐詩は
寒山寺の「楓橋」とは全く無関係の作品の由(^_^;) ちなみに、前掲『中国古典紀行2 唐詩の旅』には
「寒山寺の鐘楼。寒山寺は楓橋の東にあり、唐代の奇僧・寒山拾得が住んでいたとされる。」という
キャプションがあるけど、同書所収の鈴木修次「旅の名詩一六選」が張継「楓橋夜泊」の「寒山寺」
の語釈で「唐代、寒山・拾得の禅僧が住んだとされる寺で、この詩で有名になって以後、楓橋寺とも
称されている。」と説明するように、〈唐代の奇僧である寒山と拾得〉と記した方が適切かと(^_^;)
恥ずかしながら未読だった森鷗外「寒山拾得」を青空文庫で読んでみたけど面白いね(〃'∇'〃)テヘペロ