女性のリアルな姿を語ることができるのは、女性なのか、男性なのか、どっちなんだろう(@_@;)

【読んだ本】

渡辺実『大鏡の人びと 行動する一族』(中公新書,1987)所蔵本

誰かは諸説あるも一致して作者は男性と目されている『大鏡』は、村上天皇の中宮安子が寛容で他の
女御たちにも温情をもって接していたけれども嫉妬の感情を押さえられなかった場合もあったとして
壁に穴を開けて隣室を覗きこんで芳子タンの美貌に嫉妬し土器の破片を穴から投げつけたという逸話
を紹介しているが、本書は次のように指摘する(@_@;)

    ・・・/清涼殿の内部の間取りも時代によって変動があるけれども、この二部屋が
    壁一重であったとは信じ難く、これは『大鏡』が話を面白くするためのフィクション
    であろうと言われる。・・・

同逸話が「フィクション」なら、『大鏡』は安子の嫉妬を示す逸話を他に紹介してないので、安子は
嫉妬深かったということ自体が「フィクション」の可能性(@_@;) 『大鏡』を曲解・付会して安子
に〈反「色好み」〉のレッテルを貼った中村真一郎『色好みの構造─王朝文化の深層─』(岩波新書
,1985⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2022-08-14 )の論旨も瓦解するね(^_^;)

さて、さて、さ~て!作者(赤染衛門)が女性の『栄花物語』を披いても、この安子の「かはらけ」
(土器)の逸話は見当たらない(@_@;) てゆーか、そもそも村上朝の后妃たちの間に嫉妬なるもの
は存在しなかったとされている(@_@;) 『栄花物語』「巻第一 月の宴」の一節を山中裕&秋山虔&
池田尚隆&福長進(校注・訳)『新編日本古典文学全集31 栄花物語①』(小学館,1995)の訳(同書
20~21頁)で引く(@_@;)

    ・・・さて今上、村上天皇のご気性は申し分なく、この世の最高の御徳を備えて
    おられたのであった。・・・万事にわたって思いやり厚く、何かとお引き立てあそばし、
    大勢の女御、御息所がおそばにお仕えしておられるのを、ご寵愛の方にも、さほどでも
    ない方にも、ともどもお心遣いの程合いが格別であるけれども、いささかもそうした
    方々が不面目になるような、またふびんがられるようなお扱いもなさらず、ごく普通に
    情けをおかけあそばして、ごりっぱにおしなべてご配慮をたまわり、えこひいきなく
    おだやかに遇していらっしゃるので、この女御、御息所たちの御仲らいもまことに
    好ましく、不都合な噂も立つことなく、お互いに快く素直であるなどして、御子の
    お生れになった方に対しては、それ相応に重々しいお扱いをなさり、そうでない方には、
    それなりにしかるべく、たとえば御物忌などで所在なくおぼしめされる日などには、
    御前にお呼び出しになって、碁や双六を打たせたり、偏つぎをさせたり、石などりを
    させたりしてご覧あそばすというようにまで、お情け深くあらせられたのだから、
    どなたも皆、お互いに情誼をかわし、快くお暮しになっているのであった。このように
    帝の御心がごりっぱであられたので、吹く風も枝を鳴らさずといった風情であるからか、
    春の花ものどかに色美しく咲き、秋の紅葉も散ることなく枝にとどまり、まことに
    平穏無事な御有様である。/・・・

同書の頭注欄には「村上帝の御世から歴史叙述が本格化する。六国史の即位前紀に倣い、御世単位で
歴史を叙述する志向が窺えるが、一方、村上帝の、後宮の理想的宰領者としての側面が強調され、
六国史的天皇造型からずれてもいる。」(同書21頁)と解説が_φ( ̄^ ̄ )メモメモ 安子についても同書
43頁の頭注欄で〈村上帝は後宮の理想的宰領者であるが故に聖帝とされていたが、後宮の融和を図り、
秩序を保つには安子の存在が不可欠であった。天皇が果すべき役割を実は安子が担っていたことが示
され、〔四五〕でも安子が「まことのおほやけ」と称されている。ここに、後宮を理想的に宰領する
ことを天皇の資性として特に重視する、『栄花』の独特の見方が表れている。」と解説される(@_@;)
「まことのおほやけ」(同書54頁)についての件を同書55頁の訳で引く(@_@;)

    ・・・/故中宮はおよそご気性が寛容で、真の国母[=「まことのおほやけ]として
    あらせられ、かたわらの女御、更衣たちにもじつに思いやりがあり、大きく落ち着いて
    いらっしゃったことを、その御方々も追慕申しあげておられる。/・・・