ロシアからの猛攻を撃退した勇者みどりんオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)ヾ( ̄o ̄;)アクセス数激減したけど!
一年以上も特定の記事に毎日数百のスパム攻撃があって、その閲覧数は今見たら140,649((;゚Д゚)ヒィィィ!
数日前に急に止んだけど、もしかして、緊迫するウクライナ情勢と関係がある・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;ンナアホナ!
なお、その記事の前に攻撃対象とされていた記事(閲覧数3,607)は「こーゆージョークを引用すると、
中国語のスパムメールを大量に送り付けられたりしてヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ」と書いたらマジでスパムが(^_^;)

【読んだ本(バカチン2冊)】

保坂弘司(全現代語訳)『大鏡』(講談社学術文庫,1981)所蔵本
保坂弘司『大鏡全評釈 上巻』(學燈社,1979)所蔵本

今日は毎度お馴染みとなった古典作品の誤読・誤訳の指摘をしちゃうよオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!ピシッ!

    ・・・/この陽成天皇の御母后、すなわち二条の后宮高子さまは、清和天皇
    よりは九つ年上でいらっしゃいました。・・・この后がはじめて入内なさった
    事情というのが、はっきりしません。まだ深窓で育っていらっしゃったときに、
    在原業平の中将がこっそり高子の后をどこかへお連れしてお隠し申したのを、
    [高子の后の]御兄君たちの基経の大臣、国経の大納言らが、まだ年若で
    いらっしゃったころのことだったようですが、取り返しにいらっしゃった際、
    業平の中将が「武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり」
    とお詠みになったという話は、この高子の后のことですから、・・・

同歌を「お詠みになった」のは「業平の中将」ではなく「高子の后」ヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
この講談社学術文庫版の現代語訳が誤訳なのは一目瞭然だが、この節の〈史実〉の項を見たところ、

    〇武蔵野は〔歌〕=『伊勢物語』第十二段、武蔵野は、今日だけは焼かないで
    ください。夫[おっと]も私もここに身をかくしているのですから。

と記してるので、もしかして、『大鏡』作者が『伊勢物語』を誤読して誤記したのをそのまま訳し、
〈史実〉で誤訳であることを保坂弘司は示唆したのか?と一瞬考えるも、『大鏡全評釈』の当該件の
本文と訳と語釈を見たら、保坂弘司自身が『大鏡』を誤読・誤訳してたことが判明ヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

    ・・・御母后、清和(の)帝よりは九年の御あねなり。・・・この后(の)宮の、
    みやづかひしそめ給(ひ)けんやうこそ、おぼつかなけれ、いまだよごもりて
    おはしける時、在中將しのびてゐてかくしたてまつりたりけるを、御せうとの
    君達、基常經の大臣・國經の大納言などの、わかくおはしけん程の事也けむかし、
    とりかへしにおはしたりけるをり、「つまもこもれり、我もこもれり」と
    よみたまひたるは、この御事なれば、・・・

     ・・・この陽成天皇の御母后〔すなわち二条の后高子さま〕は、清和天皇よりは、
     九つお年上でいらっしゃいました。・・・この后がはじめて入内なさった事情
     というのが、はっきりしません。まだ深窓で育っていらっしゃったときに、
     在原業平の中将がこっそり高子の后をどこかへお連れしてお隠し申したのを、
     御兄君たちの基経の大臣、国経の大納言らが、まだお年若でいらっしゃったころ
     のことだったようですが、取り返しにいらっしゃった際、業平の中将が
     「武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり」とお詠みに
     なったという話は、この高子の后のことですから、・・・

    ◇つまもこもれり、我もこもれり 『伊勢物語』の記事に拠る。同書の第十二段に、
    「むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へゐて行くほどに、盗人に
    なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらの中におきて逃げにけり。
    道くる人、『この野は盗人あなり』とて、火をつけむとす。女わびて、『武蔵野は
    けふはな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり』とよみけるをききて、
    女をばとりて、ともにゐていにけり。」とあるのを、業平の事件に結びつけたもの
    である。第六段の芥川の説話と混同させ、虚実皮膜の間の一つの事件を読者に
    信じこませようとしているもののようである。この歌の初句は『古今集』〈春歌上〉
    では、「春日野は」となっている。もとよりこの歌は『古今集』の歌としての特質
    は備えていない。むしろ民間伝承の歌謡に近く、どういう説話にも容易につながる
    性質を具有しているから、このような現象が起こったのであり、説話好きな『大鏡』
    の作者はその性質を利用したとも考えられる。『古今集』をよく読んでいたらしい
    この作者が、心からこの歌を業平の作と考えていたとは信じられない。

『伊勢物語』第12段ではこの歌を「女」が「よみける」となってるのを仮に知らなかったとしても、
『大鏡』の当該件の本文をフツーに読んだら、佐藤謙三(校注)『大鏡』(角川文庫,1969)の脚注も
指摘するように〈・・・「詠みたまひたる」の主語は后。〉だと解せるはずオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

なお、石川徹(校注)『新潮日本古典集成 大鏡』(新潮社,1989)も「詠みたまひたるは、」に続く
「この御事なれば、」に「この高子さまなのじゃから」と傍注で訳しているように、主語は高子(^^)