読書の厄介なところは、理想に酔い痴れるか現実にも目を向けるかである〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本】

安良岡康作(全訳注)『方丈記』(講談社学術文庫,1980)所蔵本

ある本に引かれていた白居易の漢詩句が『和漢朗詠集』にも入っているというので確認してみた(^^)
川口久雄(全訳注)『和漢朗詠集』(講談社学術文庫,1982)の訓み下し文と現代語訳を引く(^o^)丿

    勝地はもとより定まれる主[ぬし]なし 

    おおむね山は山を愛する人に属[しょく]す

     景色の良い土地は、もともと定まった持ち主があるわけではありません。

     だいたい山というものは、それを愛する人の持ち物なのです。

やはり白居易は上手いなぁ、気に入ったよ(〃'∇'〃) こーゆー佳句を見逃さない藤原公任も流石(^^)

手元の『大辞林』第一版第一刷の「しょうち【勝地】」の項に「勝地定主[ていしゅ]無し」として
この漢詩句を引用して「〔白居易「・・・」の「・・・」による〕すぐれた風景に、これと定まった
持ち主があるわけではないから、誰でもが心ゆくまで賞すればよい。」と、ちゃんと載ってた(^_^;)

ただ、菅野禮行(校注・訳)『新編日本古典文学全集19 和漢朗詠集』(小学館,1999)が「だいたい
自然の山は、それを愛する人の所有であるべきものだ」と訳すように「あるべき」世界かも(@_@;)

さて、さて、さ~て!この佳句は『方丈記』にも引かれていると言うので本書を確認したよ(⌒~⌒)

    ・・・勝地が主[ぬし]なければ、心を慰むるに障[さは]りなし。・・・

     ・・・形勝の地というものは、もともと、所有者がいないものであるから、
     心を慰めるのに何の邪魔するものがない。・・・

だから、自由気ままに歩き廻る、行きたいところへ歩いて行くと、鴨長明は言うんだけどね(´・_・`)

藤原克己『菅原道真 詩人の運命』(ウェッジ選書,2002)は道真の「讃岐守時代の諷諭詩的な作品の
一つ」である「遊覧偶吟」を紹介しているが、第七句と第八句(合わせて「尾聯」と言うのかな?)
を訳も含めて同書から引くC= (-。- ) フゥー

    此間[この]勝境に主[あるじ]無しと雖も

    漸々に聞き来たる 妨げ有らんとすることを

     この讃岐の国の景勝にも、本来所有者など無いはずなのに、

     ここでも権勢家による土地の兼併[けんぺい]が進んでいるということで、
     いずれ自由に逍遥することもできなくなるかもしれない。