読書の厄介なところは、そんなの昔から有名な話だよと自慢気な輩である〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ
1974年に文藝春秋誌が立花隆「田中角栄研究 その金脈と人脈」と児玉隆也「淋しき越山会の女王」の
2つの特集記事を掲載したのが発端で田中内閣は退陣に至るが、wikiの「田中金脈問題」から(´・_・`)

    文藝春秋の2つの特集について、大手メディアの政治部記者たちは「そのくらいのことは
    皆知っている」と語っていた。これについては「知っているなら、何故書かなかったのか」
    と失笑を買い、政治部記者と政治家が取材距離の近さによって癒着していることを
    問題視する意見が出た。

【読んだ本】

中田祝夫(全訳注)『日本霊異記(下)』(講談社学術文庫,1980)所蔵本

『竹取物語』からの流れというより、某短篇小説の種本の仏教説話を探してたら目が留まった(^_^;)

    ・・・/明くる年の延暦四年(七八五年)の秋、九月十五日の夜は、一晩じゅう、
    月の表面が黒く、光は消え失せて空は暗かった。同じ月の二十三日の午後十時ごろ、
    式部卿正三位藤原朝臣種継が長岡の宮の島町で、近衛府の舎人の雄鹿宿禰木積、
    波々岐将丸のために射殺された。それで前に月の光が消えたのは種継の死を知らせる
    前ぶれであったのだということがわかった。/

後知恵のような気も(@_@;) 何かの「前ぶれ」と考えて予防のための行動は何かしたのかな(@_@;)