専門家しか気付かない誤りと素人でも判るような誤り、どちらの記述がヨリ批判されるべきか(@_@;)
間違った記述に騙される人が多そうだから前者のケースも罪深い気がする〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

【読んだ本(バカチン)】

工藤重矩(校注)『和泉古典叢書3 後撰和歌集』(和泉書院,1992)所蔵本

『後撰和歌集』秋上に入るよみ人しらずの歌を本書による大意とともに引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)

      おもふこと侍りけるころ

    いとどしく物思やどの萩の葉に秋とつげつる風のわびしさ

     それでなくても物思いをしている私の家の萩の葉に、ますます物思いする秋が──
     あの人の心にも飽きが来たと告げている風のやりきれないこと。

意を尽くした訳と思われるが、「萩」に付された頭注二の説明に仰天∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    ・・・古今集には萩の歌はない。

「古今集には萩の歌は」何首もあることは専門家でなくても知ってるヾ(`◇´)ノ彡☆コノ! バカチンガァ!!
例えば、小町谷照彦(訳注)『古今和歌集』(ちくま学芸文庫,2010)だと、『古今和歌集』秋歌上に
歌番号198の「秋萩も色づきぬればきりぎりす我が寝ぬごとや夜は悲しき」、216の「秋萩にうらびれ
をればあしひきの山下とよみ鹿の鳴くらむ」から224の「萩が花散るらむ小野の露霜に濡れてをゆかむ
さ夜はふくとも」までの9首に「萩」は詠まれてるし、同書巻末の「歌語索引」(誤植かつ重複あり)
によれば他に4首(211、397、694、781)あり(448は物名歌で「唐萩」)、計14首あるぞヾ(`◇´)ノ