今月はカードで買った金額が前月より大幅に増えたのでキャッシングの案内のメールも増えそう(@_@;)

【読んだ本】

鈴木眞哉『戦国武将のゴシップ記事』(PHP新書,2009)

チンタラと読んでる本書も次の6篇から成る「第八章 懐具合」まで来た〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    1 蜂須賀小六は盗賊だったのか
    2 豊臣秀吉はケチだった?
    3 下帯を借りた九鬼広隆
    4 石田三成と蘆刈り場
    5 懐具合が悪くては出陣もままならない──尾藤知宣・日根野弘就など
    6 漬物の塩加減と家康

尾藤知宣が仙石秀久の後任として讃岐に封じられたことは知ってたけど、本書の193~194頁に出てる
改易の話は初耳だった( ̄◇ ̄;)

    ・・・天正十四年(一五八六)には讃岐(香川県)丸亀の城主となった。翌天正十五年
    四月には、秀吉の弟・秀長に従って、島津家の属城・日向高城(宮崎県児湯郡木城町)を
    攻めたが、ここで失態を演じた。/・・・関係者から情況を聞いた秀吉は、尾藤の対応を
    「臆病也」と結論して、改易してしまった。/このときの尾藤の動きが消極的で、芳しい
    ところがなかったのは事実であろうが、それには理由があったと「南海治乱記」はいって
    いる。尾藤が与えられた讃岐は、もとは仙石秀久の所領であったが、仙石は、天正十四年、
    やはり九州で失態を演じて改易され、急遽、そのあとへ尾藤が入ることになったものである。
    /尾藤が讃岐に入国したのは天正十五年正月のことだが、前年の年貢はすでに前主の仙石が
    収納してしまっていたし、今年の分は間にあわない。やむなく寺社領や神社仏閣の敷地
    まで検地したり、商家遊民にまで課役をかけてみたりしたが、はかばかしく集まらない。
    そのため、前の仙石家の三分の一の支度もできなかった。そんな貧弱な軍容ではどうにも
    ならないとわかっていたから、尾藤はひたすら守りの姿勢に徹したのだと同書は説明
    している。/・・・

そう言えば、先日読んだ渡邊大門『謎とき 東北の関ヶ原 上杉景勝と伊達政宗』(光文社新書,2014)
(⇒ https://yomubeshi-yomubeshi.blog.ss-blog.jp/2020-10-26 )にも越後から会津へ転封された
上杉景勝が年貢を持ってっちゃったので後任の堀秀治が上杉景勝を訴えた話も出ていたかと(@_@;)