1年以上も利用してない「HMV&BOOKS」に偶々アクセスしたら、15000円以上で使える2100円クーポンが
付与されてて期限が今夜までだったので、つい本を検索して悪魔の誘惑に負けてしまった(ノ_-;)トホホ…

【読んだ本】

鈴木眞哉『戦国武将のゴシップ記事』(PHP新書,2009)

昨日の「第一章 家系・家族」に続いて、「第二章 趣味・嗜好」を読んだけど、なかなか面白い(^^)

    1 細川勝元の食通ぶり
    2 椿愛好をやめた島津貴久
    3 好きでもない(?)猫を飼った武田信玄
    4 好物の干し柿をふるまう信長
    5 猫好き人間たち──豊臣秀吉など
    6 石田三成と柿
    7 蜂須賀家政と食後
    8 焼酎党・真田幸村と徳川家康

織田信長は「美濃の干し柿」を好んだそうで(本書50頁)、本書52~53頁が紹介してる話が好き(^^)

    ・・・/このように、信長から干し柿をもらった人はわかっているだけでも何人もいるが、
    もっともおもしろいのは、真鍋貞成(一五六八~一六五六)の場合だろう。真鍋家は和泉
    (大阪府南部)の土豪であるが、貞成の父貞友は織田水軍の一員となって、天正四年
    (一五七〇)、木津川の河口で毛利の水軍と戦って戦死した。それで、当時九歳だった
    貞成が信長に御目見えすることとなった。場所は摂津住吉(大阪市住吉区)のあたりだった
    という。/それがどのような場所だったのかわからないが、床(床の間?)に美濃の干し柿
    がたくさん置いてあった。信長は取次ぎ役の堀秀政に、それを貞成にやれと指示した。
    秀政が二つだけ持ってくると、もっとたくさんやれといわれたので、今度は一二、三
    持ってきた。もらった貞成は両手で受けきれなかったので、袴の裾を広げて受けたが、
    それを見た信長は大変機嫌がよかったという。/この話は、貞成の遺臣がその想い出話を
    まとめた「真鍋真入斎書付」に載っているが、信長に指示された堀秀政が山ほどあるなか
    から、まず二つだけ持ってきたというところが、なんとも愉快である。おそらく信長は、
    美濃の干し柿を大事にして、そうそう人にもやらず、ケチケチしていたに違いない。
    側近の秀政は、その辺を十分すぎるほど心得ていたから、たった二つしか取らなかった
    のだろうと思われる。/

「信長から干し柿をもらった人はわかっているだけでも何人もいる」と矛盾するようだが、堀秀政は
優れた家臣だから、上記の解釈になるのかな(^_^;) 「九歳」の真鍋貞成が「袴の裾を広げて受けた」
のには感心したけど、もし信長が更に「もっとたくさんやれ」と言ったら、どう対処したかな(^_^;)