おへそのゴマを香ばしいと思うフェチいるかな(@_@;) 東スポWeb「球界平成裏面史」は面白いな(^^)

【買った本&読んだ本】

芸術新潮2020年6月号

楽天ブックスで発売日の昨日25日に新品を1350円(1500-150p)で注文し今日26日に届いた(^^)v
いつもの書店ならポイント使わずに一割引の1349円(ノ;ω;)ノ コロナメ!~┻┻ (/o\) ミドリン ナカナイデー!!

特集は「浮世絵新入門 肉筆浮世絵の極み」(^^) 樋口一貴「Q&A歴史篇 浮世絵をもっと楽しむため
の基礎知識」、樋口一貴「Q&A鑑賞篇 肉筆浮世絵はここを見よう」、藤田一人「肉筆浮世絵はどう
売られてきたか」、樋口一貴〈「鏡の中の美人」を読む〉、廣海伸彦「修理でわかった“裏”話」、
樋口一貴「肉筆浮世絵ベスト10」、向井大祐「模写して探る、絵師の技」で、どれも面白そう(^^)

芸新らしくQ&Aが非常に啓蒙的なんだよね(^^) 例えば、歴史篇の冒頭〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    Q 「浮世絵」はすべて木版画だと思っていましたが、違うのですか?

    A 確かに、ふつう「浮世絵」と言われて思い浮かべるのは、写楽、歌麿の大首絵や、
      北斎、広重の名所風景画などでしょうね。それらはすべて「錦絵」と呼ばれる
      多色摺りの木版画です。版元のプロデュースのもとで、浮世絵師が版下絵を描き、
      彫師、摺師の手を経て完成する、完全な分業体制による複製芸術です。超絶技巧を
      持った職人たちの技が集約されたもので、絵師一人の作品ではありませんでした。
      そもそも絵師の描く版下絵は墨一色のもので、それを彫師が板に貼り付け、主版
      [おもはん]と呼ばれる墨版を彫るので、その時点で版下絵は消滅してしまいます。
      色も絵師が自分で塗るのではなく、すべて色指定で済ませます。/しかし、
      浮世絵師が描いていたのは版下絵だけではありません。それと並行して、
      掛軸などの形で鑑賞される普通の絵も手掛けていたのです。まず墨で下絵を描き、
      そこに色を塗っていく、一点ものの「肉筆画」ですね。この人の版画が好きという
      ファンが、自分のために今度はこんな絵を描いてほしいと注文するもので、
      何枚も摺られる版画に比べると、一点あたりのコストがかかります。
      そのため買える人も限られていました。浮世絵師だちは、版画の下絵という
      職人的な仕事ではなく、自分ひとりの手で描き上げ、自らの絵師としての力量を
      示す作品として「肉筆画」に取り組んだのです。

ところが、樋口一貴「肉筆浮世絵ベスト10」で、「香りたつ色気」という見出しで選出されている
宮川長春《遊女聞香[もんこう]図》の説明文に吃驚仰天∑( ̄ロ ̄|||)ニャンですと!?

    ・・・/美人と煙の取り合わせには「反魂香[はんごんこう]」のイメージも
    重なります。前漢の武帝が、亡くなった愛妃を、その煙の中に見たという伝説の香。
    長春は古典的な画題をよく描いたので、そんな故事を意識した可能性は十分にあります。/

宮川長春《遊女聞香図》を画像検索され、「反魂香」が読み取れる方がいたら尊敬するけど、問題は
そこではなく、「反魂香」についての上記説明(@_@;) 樋口一貴、wiki以上に酷いぞ((;゚Д゚)ヒィィィ!
先ずはwikiの「反魂香」を引くオホホホ( ^^)/~~~~ ピシッ!

    反魂香、返魂香(はんこんこう、はんごんこう)は、焚くとその煙の中に死んだ者の姿が
    現れるという伝説上の香。/もとは中国の故事にあるもので、中唐の詩人・白居易の
    『李夫人詩』によれば、前漢の武帝が李夫人を亡くした後に道士に霊薬を整えさせ、
    玉の釜で煎じて練り、金の炉で焚き上げたところ、煙の中に夫人の姿が見えたという。
    /・・・

「中唐の・・・白居易・・・によれば・・・前漢の武帝が・・・」とあるが、「中唐」と「前漢」で
どのくらい時代が離れているか気付かんのか( ̄◇ ̄;) 約900年後の詩人の詩「によれば」だと(゚ロ゚;)

前漢の武帝の話は後漢の時代に編まれた『漢書』に出てるはずだけど、図書館がまだ開いてないから
『漢書』に依拠して描かれたと思しき吉川幸次郎『漢の武帝』(岩波新書,1949)を引くv( ̄∇ ̄)ニヤッ

    ・・・/なき夫人に対する武帝の思慕は、いよいよつのった。/──夫人の魂を
    呼びもどしてまいらせましょうか。/修験者がそう奏上した。/燈籠に火が入れられ、
    中庭のこなたとかなたに二つの几帳が設けられた。天子はこちらがわの几帳の中にいる。
    供物の酒肉が、つぎつぎにならべられた。/むこうがわの几帳の中に、何かが現れた。
    女である。すわっている。いつのまにか立ちあがって歩いている。李夫人のようであった。
    しかし近よって見ることは、修験者から禁ぜられている。/武帝は悲しみにたえずして
    歌った。

       是[まこと]なる邪[か] 非[にせ]なる邪[か]
       立ちて之を望めば
       偏[ひと]えに何ぞ姍姍[さんさん]として其れ来たること遅きや

    歌は、楽部に下げ渡され、楽人たちは、楽器の伴奏を付して、皇帝の悲しみを歌った。/
    更にまた武帝は、李夫人の死をいたんで、みずから一篇の賦[ながうた]を作った。
    それも「漢書」に記録されている。・・・

樋口一貴は「前漢の武帝が、亡くなった愛妃を、その煙の中に見たという伝説の香」と説明するが、
御覧の通り、そもそも武帝と李夫人の話には「煙」も「香」も出てこないオホホホ!!♪( ̄▽+ ̄*)

ネット検索してたら、張小鋼「「返魂香」考─「李夫人」との関係をめぐって─」金城学院大学論集
人文科学編11巻2号(2015年)がヒットし、同論文が『漢書』等の記述も丁寧に引用・紹介した上で、
もともと無関係だった李夫人を反魂香に結び付けたのは白楽天の楽府詩『李夫人』であると結論(^^)

他に緊急寄稿シリーズ「新型コロナウイルスと美術の現場」として5本あるけど、小生の興味は新連載
「図書館を建てる、図書館で暮らす」の第1回「〈森の図書館〉へようこそ」(文・橋本麻里)(^_^;)
西牟田靖『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社,2015)が「紙と電子媒体とでは読み方に違いがある。
というのも、紙が基本的に印刷されたものだけで完結する閉じた媒体であるのに対し、電子はネット
を遮断していない限りは無限にリンクしていて読み手の意志でそのリンクをどんどんたどっていける
媒体である。」(169頁)と書いてて、インターテクステュアリティ(間テクスト性)も知らんのかと
吃驚仰天したことがあるけど(⇒ https://yomunjanakatsuta-orz.blog.ss-blog.jp/2015-08-19 )、
橋本麻里が「ところが同じことを電子書籍でやろうとしても、ほとんど不可能だ」と紹介してること、
電子書籍を使ったことないけど、その通りなんだろうなぁと思いながら読んだ(⌒~⌒)