東京都シガンシナ区にも明日には届くのだろうか、例のマスク・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;例のプールみたい!
先週は用事があり3日も外出して4枚も使い捨てマスクを消費してしまったが、今週はゼロ枚(ノ_-;)ホッ…
旅行、疎開、一家でスーパーへ買い物に行く等々の頭の悪い迷惑な輩がいるらしいねぇ((;゚Д゚)ヒィィィ!

【読んだ本】

工藤重矩(校注)『和泉古典叢書3 後撰和歌集』(和泉書院,1992)

嵯峨天皇の妃だったのに廃された高津内親王(父は桓武天皇で、母は坂上田村麻呂の姉妹である)、
その理由は『続日本後紀』の薨伝にも訳有りであることが記されてるだけらしく謎とされる(@_@;)

理由を探る上で手掛かりになるかもしれないのが、勅撰集『後撰和歌集』に入る彼女の詠んだ歌で、
片桐洋一(校注)『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』(岩波書店,1990)による訳を引く(´・_・`)

      いたく事好むよしを、時の人言ふと聞きて

    直き木に 曲れる枝も ある物を 毛を吹き疵を 言ふがわりなさ

     真っ直ぐな樹にも曲がっている枝がついているのにねえ。毛を吹き分けて
     傷を探し出すようなことを人が言うのはどうしようもないことであるよ。

要注目なのは、この歌の詞書で、同書の脚注は「事好む」を「好色。」と説明してるヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ

以上の大要は前にも書いたことだけど(190223読んだ本&買った本)、勅撰集『古今和歌集』の歌
「木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしに我が身はなりぬべらなり」の左注に「ある人のいはく、
高津の皇女の歌なり」とあって、片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』(講談社学術文庫,2019)は
同歌の【鑑賞と評論】で『後撰和歌集』の上記歌を引いて、

    ・・・「いたく事好む」すなわち「ひどい色好み」という噂があったことがわかる。
    『古今集』の当該歌の左注も、そのような状況の中にあった高津内親王の歌として
    享受するようにという指示であろう。/・・・

高津内親王は「ひどい色好み」と噂されてたとする片桐洋一に対して、「真直ぐな木にも曲った枝は
あるものですのに、細かな欠点を探し出して非難するのは道理にはずれたことです。」と同歌を訳す
工藤重矩の本書246頁の頭注一は「事このむよし」を次のように説明していた( ̄◇ ̄;)エッ!?

    風流を好むこと。

たしかに、「事好む」を古語辞典で引くと〈もの好きである〉〈はなやかなことを好む〉という意味
になっているけど、「風流を好むこと」が高津内親王の「細かな欠点」になるのかしら(@_@;)

『後撰和歌集』だと「檜垣の嫗」の歌の左注に「かしこに名たかく、事このむ女になん侍ける」と
あるも、「檜垣の嫗」は遊女とされ(本書は否定)、「好色」も「風流を好む」もOKかと(@_@;)