昨日注文の古本の一つが発送も、聞いたことない配送業者でAmazonの「配送業者の連絡先」にも無く、
ネット検索すると、届くの遅い、一生届かない等メチャ評判悪いヒィィィィィ(゚ロ゚;ノ)ノ お月様、キレイ(^^)

【読んだ本】

粕谷一希『中央公論社と私』(文藝春秋,1999)

「中央公論」等の編集長として多くの論客・作家を世に送り出し、評論家を経て、雑誌「東京人」を
創刊した粕谷一希の回顧録で、老舗出版社が衰退していく過程を描くとともに、戦後史でもある(^^)
読了済だけど(ちなみに、「第二部 修羅と愛惜」は雑誌掲載時に読んだ)、再読することにして、
「第一部 回想」の「修業時代」と「七十周年記念祝典」の両章を読んだ(^^) 昭和30年(1955年)に
中央公論社が創立70周年を迎えて開いた式典の話から本書43頁を引く〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ

    ・・・/この式典でもう一つ印象的だったのは、文藝春秋社の佐佐木茂索社長の
    挨拶である。お祝いの言葉のあと、/──中央公論社のお祝いは式典だけれども、
    文藝春秋社のお祝いはお祭りです。皆さん、文藝春秋社のほうにもぜひいらして下さい。/
    と結んで、会場の来賓はドッと笑った。このひとを喰ったような、自己宣伝を兼ねた
    ユーモアは、これも簡単に言える言葉ではなかった。文藝春秋の優位はこの佐佐木社長の
    一言のうちにも含まれていたといえるかもしれない。/・・・
 
両社の社風(の違い)についての秀逸な寸評ではないかと( ̄◇ ̄;) 本書の40頁には、〈また、私が
毎月愛読したのは、河上徹太郎の「私の詩と真実」で、小林秀雄の強烈な自我を感じさせる文章と
対極的で、浸み透るような柔かい感受性を感じさせた。対象を介して自我を語る小林秀雄の文体より、
対象を活かす批評の方法として、河上徹太郎の批評の方が、私には好もしい気がした。〉とあるけど、
この佐佐木茂索の寸評は小林秀雄流の〈批評対象をダシにして自らを語る〉「批評の方法」なのに、
その「ユーモア」で巧~く包み込んじゃってるところが老練だわなぁ〇 o 。.~~━u( ゚̄  ̄=)プハァ